今日は 2013年最後の どんぐりの日


いつもどんぐりに居る猫は

前の子と同じであるならば・・・


異様に太っていた・・・・




こんなに太ると 不自由だろうに

半野良(多分エサは誰かにもらってるはず・・) だけあって


走るのは意外と早くて 滑稽

毛糸の玉が 転がっている感じ・・


野郎たちは 小雨が降る寒空の中

なんてことなく遊び

愉快な気分にさせてくれた




どんぐりトロッコへの夢

台車と 半分に割った竹で 1mだけ叶った





大根採って 嬉しいチビちゃん

得意げな顔が いいでしょう?


今年のどんぐりは

数えたら 全部で109回開いていた


よくがんばったな


わたしは だいたい一年のうち 3割

どんぐりに居たことになる


来年も この場所で

いい日を

積み重ねて いけますように


ペタしてね

ここ数日
考えていたことが
なんとなく繋がった感がある

万人に通用する「ことば」や「しくみ」を
提供しようとするから
平坦に安っぽくなるんだな

指南書やマニュアルなど
必要ないんだ

だってさ
ひとりひとり違うんだから
いくら導いてあげたくても
同じ方法じゃうまくいかない

第一
自分でやらなきゃならないことを
他者がしてあげちゃ
ありがた迷惑

その生涯で
もしわからなくても
それは仕方ないことで

大事なのは
指南することではなく
味方でいてやること

「あなたのペースで進みなさい」と
大きな気持ちで
受け入れ受けとめてあげること

私はずっと
万人に通用する言葉を
追究していた

真理ならば全てに適用できると思っていた

少し違う
真理だからこそ
同じようには浸透しない
だいたい他人の言葉ややり方で
浸透する真理など
本当の到達ではない

少し楽になった
私は私が理解できる言葉で
私の言葉を語り
それに私が満足することから始めよう

誰かが納得しなくても
理解できなくても
気に病むことはない

人間がその瞬間ごとに
受けとることのできる五感情報は
なんてちっぽけなんだろう

要するに
理解しているはずの 自分を取り巻く世界など
ほとんど記憶やイメージによるもの

なるほど
人がこの想念により
いかに左右されるかがわかる

実際に地面に両手を広げ
一人で立ったとき
受けとる感触はどんなだろう?

実際に触れる空気、風、匂い
聞こえる音、見える光景以外は
全てイメージ

ならばいかに
善良で前向きなイメージで
自分が身をおく世界を解釈するかが大事

宗教は
その解釈方法を用意してくれている


宗教をもたない輩は
どうしたらよいのだ?

自由にイメージしてごらんよ
自由って、時々キツいけどね
自由に自分を取り巻く世界を
解釈してごらん

孤独にイメージすることで
自己中にならないように
孤独である故に
寂しさで卑屈にならないように

感謝で世界が 満ちていくように


宗教を開くには

万人に通じるような 教典を持たねばならないけど

独自のイメージなんか

そんな責任取らなくていいんだよ


自分だけに適用できる宗教

万物が神であり 万物に感謝できるという 

まあるい世界の宗教

開祖になれるかな?

なれるだけの力量が 自分にはあるかな?

感謝と優しさで構成された
自分自身がイメージした世界は
驚くほど 行く道を変化させるはず

外界と触れる「面」は

別の物質になったかのように変化し
実際に起きる出来事まで

変わっていくのだろう

私のちっぽけな脳ミソと感性で
どこまでイメージできるだろ

時々
両手を広げ
ただひとり地面に立ってみようと思う





こんな風にか ??


ペタしてね

長い時間をかけて 準備した

クリスマス会が 先ほど 終わった・・・・


今回は タイキが最初から 手伝ってくれた

暖をとれるように 火をおこしておいてもらった





参加者 子ども30人 大人入れて 35人

ポクと タイキ入れて 37人かな


これだけ居ても そんなに圧迫感がないのは

外だからかな


子ども30人…という数で観ると 大変だぁと思うのだけど

毎年 始まってみると 落ち着いていて

大して 大変というわけではない





この日のために準備した

遊びをいくつかして 全員で楽しんだ





毎年やっている ベーゴマ大会は

ちゃんと対戦できるメンツが 少なくなり

ちょっと物足りないかな


ベーゴマは

なんとか 継いでいきたいんだよね

だって かっこいいじゃない





灯篭は 事前に自分で 作らせた台に

染めた和紙を 張り付けて完成


4時半過ぎに点灯した

今回は 全部で 40個近くともったかな




いつも灯している間

心に残ることを すればよかったな・・ と

後で思っていたから


今回は ひとつ やってみた


「それぞれが大切に思うなにかに対し 

「ありがとう」 と思いながら

火を1分間眺めてください」


静かな一分間が 流れましたよ


みんな なにに 「ありがとう」 をしたんだろ

「ありがとう」 は 魔法の言葉なんだよ





細長い 「ありがとう」 の輪っか


それぞれの 気持ちが

届きますように


長い時間 準備した割には

あっけなく終わってしまった クリスマス会


ぐっっ ぐったりとしています


温かい風呂に入って

自分を 労わろうと思います


よく がんばった わたし


             ペタしてね

わかったことがあるよ。

学校等の公共施設でしているのは
マクロの世界。

私がどんぐりでしているのはミクロの世界。
だとする。

ひとつの真理を世に浸透すべく
伝導しようとするでしょ

私がどんぐりの中で
浸透しやすい生粋のメンツに
何かを深くまで伝え
その子が成長するまで見守ったりすることは
マクロの世界ではありえない。

逆に全ての子供に
真理を伝えるなんてでかいことは
どんぐりみたいに小さい規模ではできないし
そもそも「全て」ってのは
無理なんだよ。

要するにどんぐりは
選民主義みたいにならざるを得ない

ミクロとマクロでは、同じことを追究しようとしても
違う形でしかできない。


公共性、平等性を追求しようとすればするほど
その真理は平坦になり、ありきたりの大義名分にしか見えなくなる。

なぜなら、人間も他の生物も
「平等」になんか生まれてきてないからだよ。

無理に同じ駒にしたてあげても、不自然にしらけた平等が不安定に保たれるだけ。

不平等とは、「個性」だよ。
それを認めあい、活かせるようにできなきゃ
いかなる公共の平和も、真理の伝導もあり得ない。

私はミクロの世界から、発信し続けるよ。