普段、当たり前のように感じていることも、改めて考えると「~のおかげ」と感謝するようなこと・モノってあるよね。
最近、視力が落ちて、書物はおろか新聞を読むのさえしんどく、面倒になってきていた。
しかし、どうしてもこの歳になって改めて読み返したい書物があってメガネのレンズを調整し直してみると、なんと文字を読むことが苦痛ではなくなってきた。「文明の利器だねえ」とつくづく感じ入った次第。
そう言えば(私はまだお世話になっていないが)、補聴器や入れ歯や心臓のペースメーカーや人工関節や老人車、車椅子、電動ベッド等々と衰えたり低下したりした能力を補助、援助してくれる道具・器具が様々あって、生活を支えてくれている。そのおかげでどれほど助けられていることか。………… と改めて感謝。
梅雨明け間近……という報道があったので、椎茸のホダ木の天地換えをした。
雨天が多くて力仕事をしばらくしていなかったこともあって、足腰から腕と筋肉痛で痛いのなんのって……。約600本を天地返したところで、今日は骨休み。あと約400本を残して、当分は別の外仕事を…… と。
小松菜の種を畝に約2mほどまいた。自家用です。九条ネギ(主に青い部分を薬味などで食べる細ネギ)の種を約3mほど蒔いた。これも自家用。岩津ネギ(白い部分も食べることができる太ネギ)は100本の苗を植えた。これも自家用で、すき焼きや鍋の具材で存在感を示してくれる美味なネギです。キャベツとブロッコリーの種はポットに蒔(マ)きました。アスパラの種が赤く実ってきたので、それを試しに蒔いてみた。本来なら4月頃に蒔くのが適期のようなので、7月蒔きでは芽が出ないかもしれない。
ジャガイモはメークインとダンシャクとキタアカリとアンデスレッドのすべての収穫が終了。これらは自家用と販売用と種芋に分別。里芋とサツマイモは今、生育中。バターナッツカボチャは自家用で、現在10個ほどが生育中。夏大根は半分は自家用で半分は切り干し大根に加工して販売予定だが、冬大根に比べて見るからに美味しくなさそうで、販売は諦めるか。キュウリ、なす、ミニ(プチ)トマト、ピーマンは現在収穫して自家消費中。
あとは、今月末から8月には、白菜と大根などの秋冬野菜の種まきが控えていると言った具合で、グルグルと時は巡り、農作業も次々と休みなく巡ってくる。循環? 同じ事の繰り返しのようでありながら、同じ事は二度となく…………毎回、毎年、「年々歳々 花相似たり 歳々年々 人同じからず」で、同じ事の繰り返しのようでありながら、同じ事は二度とない。毎回が、毎年が、新たな挑戦の繰り返し…… なんてチョッピリ感慨にふけってみたり……。
話はコロコロと移り変わるが、今年はなんとも緑が深く嵩(カサ)高い。
頭上から左右から木や草に覆い被されるようで圧迫感が例年以上に強い印象。恐怖と言えば大げさですかね?
草が背が高く木のように太くなり、葛(クズ)が蔓(ツル)を伸ばして木に覆(オオ)い被(カブ)さっている。木々も包み込まれて窒息しないかと思うくらい。「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉がこの場合適切なのかどうか不明だが、緑の多さも多すぎると襲われているかのような感じに。
原因は気象の変化と少子高齢化+人口流出。
海流の変化や海水温の上昇によって漁獲に変化が顕著と聞くが、農産物も木々草木も生育に、分布にと変化が見られる。少子高齢化と人口流出による過疎化によって、山林に手が行き届かず山が荒れ、里山も荒れ放題に。葛'クズ)や藤蔓(フジヅル)がはびこって覆い尽くしてジャングルの様子。林道、里道も手入れができずに荒れる一方で、山に入る人もなく、イノシシや鹿、猿の天国(?)に。最近はクマの出没もアナウンスされ、一層山中に入る人なし。
中山間の農地も年々放棄地が増えて荒れ地に。荒れ地にはススキが生え、あるいは葛(クズ)がはびこり木も生えてきて数年で原野と化す始末。農業を好きで取り組んでいるので当面は農作業を辞めるつもりはないが、自らも高齢化するに従って草刈りや鹿・カラスなどの防獣対策に最近はいささか疲れ果ててお手上げ状態になるときも…………。
従って、休養日をつくって、読書でもして頭脳だけでも活性化しておこうと。 そこでメガネのレンズ交換をとなった次第。
そうして、疲れがとれて意欲が出てくれば農作業を、と。当分はそんな日々を楽しめたらということで。今は、西谷啓治先生著の『宗教とは何か』にチャレンジ中です。老い先短くなったせいか、「人生」や「自己」を見つめ、知りたいと思うようです。『仏道を習うというは 自己を習うなり。自己を習うというは 自己を忘るるなり。』(『正法眼蔵』)などといったフレーズが心にかかり、深く体得したいと……そんな心境です。………… ごきげんよう。