新聞記事で、休耕田にドクダミとヨモギを植えて、それが健康と美容に有効だとも事で需要が増しているとか書かれていたのを読んで、ドクダミをまず田んぼの片隅に植えてみることにしました。

 

 休耕田が荒廃していくのを防ぎドクダミやヨモギ栽培で有効活用できること、ドクダミやヨモギが健康や美容面で効能があり需要が高まってきていて栽培・販売する価値があると言うことで、私もとりあえず試しに栽培して様子を見る気になりました。

 

 ドクダミにしろヨモギにしろ田畑の片隅や路傍や荒れ地やの至る所に自生しており、生命力・繁殖力が強くて、雑草としては嫌われる植物ですが、ドクダミは薬草としてヨモギもお灸のモグサやよもぎ餅の食材として古くから有効活用されてきた野草です。特にドクダミはゲンノショウコ、センブリとともにわが国では古くから三大薬草として用いられてきたものです。

 

 さあて今後どのように活用していくかは栽培と並行して考えていくとして、とりあえずは田んぼの一角に植え付けてみました。これが増殖していくようであれば乾燥させて「ドクダミ茶」として道の駅などで販売してみるか、大量生産の見通しが立つようであれば漢方の製薬会社などに販売する道を探るとか………… などと、捕らぬ狸の皮算用をしたりして楽しんでいます。

 たとえうまくいかなかったところで元々野草ですから、苗代も肥料や農薬代も不要ですし大したリスクはありません。暇つぶしするほどの暇はありませんが、いろんな事を試みてみることを面白がってみようと言うことです。

 

 いろんな野菜や原木シイタケ栽培もやりながら、庭の剪定もやりながら、今を盛りの夏草の草刈りもやりながら等と忙殺されながら、疲労の中で、休息の中で、晩酌の中で、生きていることの実感を抱けるのは幸いなことです。朝目が覚める、食事をいただく、身体を動かしたりチョットした新たな試みをやってみることができる…… 生きて動くことができる喜び………… なかなかにありがたいことです。………… 生かしてもらって、動ける間はありがたく働いて(微々たる働きで、何の意味も無いほどのことではありますが)「足るを知って」喜んで生きていきましょう………… なんて言うような心境になることもあるような昨今です。

 

 そんな日々ばかりではありませんがね……………… ごきげんよう。

 

 昨日は竹藪の整美をしました。密集した孟宗竹を間引いたり、枯れた竹を切って整頓したり等したのですが、藪に巣を作っていたアシナガバチに手を刺されたり、帰宅して長靴を脱いでみると靴下が真っ赤に染まって知らぬ間に山ヒルに足の血を吸われていたりと散々でした。ヒルに血を吸われると血がなかなか止まらず困りますし、蜂は翌日になると腫れや痛みが出てきます。これも生きているから味わえることなのかなあ…… と。これは嬉しくもありませんが。

 

 過疎化・高齢化の中で、里山は荒れ、中山間地の農地は荒廃し、イノシシや鹿が増えて農作物や苗木を食い荒らすばかりか、ヒルやダニを身体に付けて人里に拡散してくれます。わが国も将来どのような国家・社会になっていくのでしょうかねえ?