ロシアのウクライナ侵攻から1年を経過し、唯一の被爆国であり敗戦の辛酸をなめた国で平和憲法を有するわが国が率先して両国に停戦を働きかけるべき、といったことを先のブログで書いたのだが、アメリカやNATO諸国のお尻にくっつきながら動向を窺っている間に中国に先を越されてしまった。
世界平和、核兵器反対を求める大義があるならば遠慮することなく自立した外交を貫けば良いのだが、わが国の首脳達はそれができない。両国がわが国の停戦提案を受け入れるか否かはともかくとして、停戦の呼びかけを、侵略反対の呼びかけを、アクションを何故起こさないのか。平和追求のリーダーシップを採ろうとしないのは何故か。リーダーたらんとする志も気概も力量もないが故か? NATO加盟国でないわが国であるからこそ、NATO色にもロシア色にも染まりきっていない第三国のような立場であるわが国であればこそ仲介できる可能性があるであろうに、親分アメリカの顔色を窺い追随している間に中国に先を越されてしまった。さすがに習近平の手練手管はスゴイ。ついでながら、ロシアのプーチンの手下の如くでありながら中国との関係を密にしようと働きかけているベラルーシのルカシェンコ大統領の外交手腕を見よ。プーチンのロシアを相手にとにもかくにも逃げ出さずに正面切って抵抗し、欧米諸国に働きかけているウクライナのゼレンスキー大統領の政治力を見よ。わが国の総理大臣など足下にも及ばないではないか。「外交」と言えるほどのものもないではないか。したたかさ、先を読む力、対応力、知恵などどれをとってもいかにもか弱い。
世界平和を追求し、平和外交を貫く政治的意思がないのだ。
アメリカの核の傘があろうと、わが国が他国の侵略攻撃を受ける羽目になって国民の生命が犠牲にならずにすむなどと言うことはあり得ないのだ。いくら兵器による防衛システムを整備しようと攻撃を受けて無傷で済むはずはない。
他国を侵略したり侵略されたりしない世界、殺し合う戦争のない世界を実現し、維持し続けていく国際外交の取り組み以外に安全保障を獲得できる道はないのである。それらはウクライナ侵攻によっても解ったはずである。武力による安全保障の道は、より殺傷能力の優れた兵器競争が延々とつづくばかりで、何の安全保障にもなり得ないことは、北朝鮮のミサイルの高度化の進展具合を見てもわかるであろう。日米安全保障条約の力は、今や抑止力にはならなくなっていることは火を見るよりも明らかである。繰り返すが、武力の優越による平和維持は限界に来ている。そうではない形での平和の追求こそが国際政治の課題なのであり、わが国がその先頭に立って旗振りをする役割を果たすべきなのである。それが使命であると思うのだが。
わが国の政治屋さんたちはその努力を放棄して、防衛ミサイルを増やすことやら、攻撃を受けた場合の敵基地攻撃やらに現を抜かしているばかりである。
政治家の質の悪さは、国民の質の悪さのあらわれということなのか。
「鶏頭となるも牛後となるなかれ」と言うことわざもあるのだが、たとえ小国であっても誇り高い国家でありたいものである。物質的豊かさに心奪われて、それよりも大切なものを見失ってしまったと言うことか。
戦争からの安全保障のみならず、一説によればあと10年・20年もすれば、日本国民の多くが飢餓状態に陥る恐れがあるとか。食料安全保障の課題がある。大地震に襲われる可能性が高いとか、襲われれば数十万人もの死者が出るとか。自然災害発生に対する対策の課題がある。
そういうことの対策こそ国会で真剣に議論されて具体的な対策が立てられるべきであろうに、コップの中の嵐というのか、政権争いというのか、権力闘争というのか、選挙でいかに勝利するかと言うこととか、なんやかや本末転倒の政界の様子につくづく愛想が尽きるのだが、ブログで愚痴るだけの自分にも腹が立つ。
と言った具合で、もうやめます。……… ごきげんよう。