わが国の政治の混迷… それを支える(?)政治家の劣悪さ・堕落(?) | 太郎椎茸のブログ

太郎椎茸のブログ

ブログの説明を入力します。

 毎日のようにマスコミに登場する政治家の醜態、政治の混迷ぶりに何とも情けなくて、腹が立って、忸怩(ジクジ)たる思いでイライラが募ります。

 

 政治が国民の方を向いていない。政治は何のためにあるのか、政治家は何を為すべきか、が政治家の心から離れてしまっている実態。

 国会議員に体たらくが都道府県会議員、市町村会議員に至るまで情けない実態が日々マスコミによって見せつけられる。持っていき場のないイライラが募り、そのうちそれが諦めに変わる。

 

 参議院議員に当選しながら今なお一度も議会に顔も出さず国民の税金から収入を得ているガーシーとやらいう人物。世間の常識、世間の企業では全く通用しないようなことが通用する「国会」と言う場所。不祥事や非常識発言で政権中枢から身を引いたり更迭される政治家や秘書官など。

 言い訳の記者会見で「失言」だと詫(ワ)びる、国民の皆様に「誤解」を与えて申し訳ない、と詫びる。しかし、こんな国民をバカにした、なめた詫び方はない、と一層腹立たしくなる。「失言」とは、本音は腹にしまって出さなければよいのに、つい気が緩んで喋(シャ)べってしまったと言ったようなことであるが、失言したことが問題なのではなくて、失言した内容の事柄を本音として持っていることが問われているのだと言うことである。つまりは失言が問題なのではなくて、失言内容が問われているのである。それを「失言」にすり替えて誤魔化してはいけない。

 「誤解を与えた」ことを詫びて、まるで「誤解を与えるような発言をしたこと」が悪かったかのような詫び方をしているが、「誤解」とは誤った理解、誤った認識をすると言うことであり、よく考えると(よく考えなくてもわかることだが)発言者の発言内容の真意は間違っていないのだが伝え方がまずかったために国民の側が正しく受け止められずに誤った理解をしてしまったということなのである。これでは国民の理解力不足だと言わんばかりではないか。問題は言動した政治家の本心であるのに、それを政治家の伝え方のまずさにすり替えているということである。とどのつまりは、国民が政治家の真意をくみ取れず誤解してしまったと言うことになり、まるで国民の側に問題があるかのようでさえある。

 

 今のわが国の国政は国民の安全と幸せの実現の方を向いているとは思えない。

 政治家達は国会議員であるために「選挙」に勝つこと、選挙で支持を得るための政治をすること、「政権を握ること、政権の中枢に立つこと」を第一義に考えて言動しているとしか思えない。本来の「政治」ではなく、いわゆる「政局」に注力してばかりいる浅はかさ。

 先日のあるTV番組で取り上げていたが、国政がそのような体たらくだからか、都道府県議会においても議会中に居眠りする議員の多いこと、多いこと。また、寝ていなくてもスマホを見るとか、熱心に祝い袋に筆ペンで文字を書いているとかの内職をしている議員の多いこと。議員にとって議会こそ主たる職場であるにも拘わらず、寝たり内職したり。こんなのに地方・国家の政治を任せておいて良いのか。こんなのを養うために税を与えてよいのか。それこそ税の無駄遣い、税金ドロボーではないか。世間の職場で、勤務中に寝たり内職したりがまかり通るところなどない。先ずは叱責・指導され、なお改善がなければクビとなって当然である。

 多くの職場では上司からの、あるいは部下からの、あるいは同僚相互の勤務評定がなされる。政治世界であるために議員間の相互評価は難しい面もあろうが、議場にカメラを設置して議会中の撮影をして、それを市民・国民の代表者がチェックして客観的に評価して査定するようなシステムを導入してもらいたいものである。そうすれば、少しは緊張感をもってよい評価を得んと努力するのではないだろうか。

 

 現在のわが国の経済の落ち込みは岸田政権のせいではなくて、安倍前総理のアベノミクスとやらの経済政策の失敗(というより「不成功」と言うべきか)によるものであるが、かといってその失政からの挽回策は打ち出せていない。かつての民主党政権も鳩山総理の沖縄基地問題の失敗に代表されるように評価できる政治はなかったが、かといって自民党の安倍政権は長期政権であったというだけで、諸外国にさまざまなサービスをして評価を得ただけで、国内政治は貧困なものであった。岸田政権もよいブレインにも恵まれず、独断専行しては勇み足を攻められて軌道修正を繰り返すと言った体裁で評価できない。

 

 かつて戦後の復興から高度経済成長を達成して「経済大国」と呼ばれて東南アジア諸国から出稼ぎに来ていたのが、今やオーストラリアをはじめ若者が海外流出する事態に。「栄枯盛衰(エイコセイスイ)」は世のならいとはいえ、好景気にあぐらをかき目先の利益に振り回されて維持発展するための努力をしてこなかった政治の空虚さにあったと言えるだろう。農業政策にしろ少子化問題にしろ、年金問題にしろ、なんと将来を見据えての政策が欠落していたことか。議論はされても有効な具体策が為されないままであった。目先の対症療法はするが根本治療ができないのがわが国の最近の政治の弱さである。

 

 私は戦後の生まれで戦争の悲惨さを体験することなく平和な時代に生きることができ、高度経済成長・所得倍増の好景気に恵まれて、今や年金生活者として豊かとは言えぬまでも食べるに心配はない。まずまず幸せに生きてこられたと言えよう。しかし、我が子や孫の時代になるといかがなものか。現状を見ていると、近い将来に戦争、地震などの自然災害、原発関連の人災、食糧難・貧困などに巻き込まれはしないかと不安にならざるを得ない。

 

 政局や政略やと現(ウツツ)を抜かす政治屋ではなく、将来を展望しての今を政治できる人材の出現に期待するしかないのだろうか。広い視野、深い洞察、実践力、有能な人材を見出してブレインとする人望力を持った人材は………。

 

 またもやの詮無い(センナイ)ボヤキでした。

 私のぐちに付き合って「いいね」と言ってくれる方はほとんど皆無なのはわかっていますが、たまにどこかに吐き出したくなって………。…… ごきげんよう。