母が遺(ノコ)してくれたもの…… 私は娘に何を残すか?……… | 太郎椎茸のブログ

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 急な寒波に襲われて、妻が防寒用の衣類をたくさん出してくれた。

 そのなかに亡き母が生前に編(ア)んでくれたセーターやカーデイガンが数枚あった。母はもうこの世にいないが、セーターに袖を通したぬくもりに息子のことを思いながら編んでくれた母の気持ちを感じ、ありがたいと思う。なかにはもう50年以上経ったものもあり、近い物でも30年位は経っている。長く着ることができるものだなあと改めて感心する。あと、蔵には梅干しが食べきれないほど保存されている。

 

 梅干しから、高村光太郎の詩集『智恵子抄』に「梅酒」という詩があったことを思い出す。

 妻の千恵子が亡くなった後、10年後くらいに蔵の中に生前造り置いてくれていた梅酒のビンを発見し、亡き妻を偲(シノ)びながら、琥珀色の梅酒を飲むというような詩であった。その詩の中に、「……ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、これをあがってくださいと、おのれの死後に遺していった人を思ふ……」と言ったくだりがあったと思う。

 

 そんなことから翻(ヒルガエ)って、ところで私は娘に何を残したか、何を遺してやれるのかと考える。

  父も母も有形・無形のものを私に遺してくれた。私は何を? 家屋、田畑、山林など、ご先祖様から受け継いだ固定資産は遺せるが、母が私に遺してくれた心のこもった有形のものを、それを見れば親父を思い出すような有形のものを何か遺せるか? それを思うと思い当たるものがないことに愕然(ガクゼン)とする。無形の心に残るようなものは若干はあるはずだが、娘の心にどのような形で、どのような思い出として残っているか。そんなことを考えると、私は娘のことをどこまで理解し、娘は私をどこまで知っているのか、愛情を注いで育てたつもりだが、その「つもり」がどこまで娘に届いているのか、自信がなくなってくる。

 

 昔、学生時代に聴いた反戦フォークソングの『死んだ男の残したものは』の歌詞に「♫死んだ男の残したものは 一人に妻と一人の子ども 他には何も残さなかった 墓石一つ残さなかった……」とあるが、墓石と戒名は残してはいるが、他には何も残せていないなあと………。

 そんなことを考えていると、またもや中島みゆきさんの『命の別名』の歌詞の中にある「♫……何かの足しにもなれずに生きて 何にもなれずに死んでいく 僕がいることを喜ぶ人が どこかにいてほしい……♫」に行き着いていく。

 今まで生きていた中で自分を「不幸」だと思ったことも絶望の淵に立ったことも一度もなくて、幸せな人生を送らせてもらえたのだと、もったいないことだとありがたく思うが、娘や妻の人生の「足し」にどこまでなれているのだろうか、については自信がない。己のことだけでなく、周りに存在して関わりを持つ人たちに対してだけでも「足し」になるような生き方を探っていくことが、これからの自身の余生なのかなあと考えています。悔いを残さぬように……。

 

 どうなりますことやら……… ごきげんよう。