あぁ~ 「昭和は遠くなりにけり……」を実感せざるを得ないなぁ、と。 | 太郎椎茸のブログ

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 最近のTVの音楽番組を見ると「昭和は遠くなりにけり」を実感させられる。

 あれは、男性ならばジャニーズからだろうか、女性ならば<おニャン子クラブ>から<モーニング娘>に始まって、最近はやたらと歌って踊る集団が急増した。売れているうちの半分以上が「集団」である。しかも、名前がカタカナやアルファベットで、私などにとっては度のチームも大差がないようで南画何だか、どれがどれだかわかりもしない。

 

 他者の好みにあれこれと水を差すつもりはもとよりないが、私にとっては音とリズムがあるだけで歌詞やメロディーが心に届いてこない。

 今のポップス音楽はリズムが先あって、そこにメロディーが載せられ、最後に歌詞がが当てはめられるといった感じがする。それに対して、例えば大ざっぱに言えば、シャンソンや昭和の戦後のポップスはストーリーを持ったドラマティックな歌詞があり、歌詞の語りを載せるメロディーがつけられるといった感じである、と私は思う。シャンソンのあるものなどは、ほとんど物語の語りを語っているようなものだ。

 

 私が大正から昭和の戦前の歌謡を聴いて感じる感じを、平成世代の人々は昭和の歌に感じるのだろう。

 あの山口百恵が60歳の還暦を越え、中森明菜が55歳を超えているのだから、令和の今日から見れば、平成という一時代を越えた時代である「昭和」はもはやわれわれ戦後の団塊の世代にとっての大正を挟(ハサ)んだ「明治」のようなものと言えるのかも知れない。まさしく「昭和は遠くなりにけり」なのである。

 

 突然に話が変わるようなのだが………

 有能で頭が良いはずの国会議員や高級国家官僚たちが、国会やマスコミで問われると急に「記憶にありません」と誤魔化そうとし、誤魔化しきれないとなると今度は心にもない<謝罪>で逃げ切ろうとする姿を見せられながら令和の時代は「世も末」なのかとアホさ加減に絶望すら感じる。頭が腐れば腹も腐り、最後はシッポまでもが腐り果てる。

 こんな下品な国に成り下がったのは一体いつからなのか、その原因となったもの・ことは何なのか。

 いや、これは今に限ったことではなく、時代の流れの波の上昇・下降と言った歴史的な必然なのか。墜ちるところまで墜ち、腐るところまで腐れば、その反動としての変革期が訪れるのか。それはいつのことか。生きている間に目にすることができるのだろうか。

 

 昭和への懐旧と令和の時代・社会への嘆きと……。「老兵は死なず。消え去るのみ」でしたかね。……… ごきげんよう。