コロナ禍と豪雨災害から…… われわれの価値観の転換に本気で取り組まねば… ピンチをチャンスに。 | 太郎椎茸のブログ

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 コロナ禍が終息もしていないのに重なって襲う豪雨災害、水害に土砂災害。最近多すぎやしないかい?

 コロナ禍でさえ対応し切れていないのに、この豪雨災害に国としてどう対応するのでしょうか。いや、対応できるのでしょうか。

 

 コロナ禍に対しては安倍内閣が中国の習近平主席の国賓招聘やオリンピックにとらわれたために対応が遅れたが、我が国民の高い自粛力のお陰で今のところ他国に比べて救われていると言えるだろう。

 しかし、総理をはじめとする政府も地方公共団体のトップ(組長)も責任ある効果的な対策を打てずに、国民の自律性の高さに依存しあぐらをかいているようではプロとして失格であろう。このような危機的状況にあってこそのリーダーシップの発揮である。このような危機的な困難な状況にあって、問題点を正しく把握し、その原因を究明し、如何(イカ)に課題解決を図っていくかの具体策に取り組まねばならない。

 

 「のど元過ぎれば熱さを忘れ」ではいけないのである。

 政界も経済界もみていると、違法行為をする、違法ではないが倫理的に好ましくない言動をする事例が多い。しかも違法行為なり非倫理的な言動が明らかにされると頭を下げて簡単に謝罪する。謝罪の安売りのオンパレードが目立つ。魂からの謝罪がない。バレたから仕方なしの謝罪で済まそうとする。そうして、「人の噂も七十五日」で国民の心から忘れ去られるのを待ち、免罪されたことになる。

 子どもの頃に「謝って済むなら警察はいらん」などと子ども達の間でよく言っていたが、今の政財界の要人の謝罪はそのレベルのものである。「嘘・偽り」で塗り固めた「悪」行であるが故にその言動は「醜い」。倫理的・道徳的には「真= 善= 美= 正義」が人道の理想であるはずなのだが、政財界のリーダー達が「偽= 悪= 醜」の姿を国民の耳目に曝(サラ)とは世も末の感がする。昔の人はこれを「破廉恥」と言った。

 

 室町時代末期(戦国時代)に来訪した宣教師達が我らが先人の生き方・生活を見聞きして「(生活は)貧しく慎ましやかだが(その魂は)豊かで貴い」と高く評価し、現代の国民の中にも「自粛・自律・思いやり」の心として世界からも評価されている言動を裏付ける心を持っているのに、リーダー層は自らの破廉恥さを恥じる心まで失ってしまったのか(勿論、政財界のリーダー層の全てが破廉恥と断じているのではないことは言うまでもありませんが)。

 

 今の最重要課題はコロナ禍の解決に最大限の注力をしなければならないことであろうのに、言い訳をし責任転嫁し、責任転嫁と逃避の手段としてであるかのように総選挙・政局の方に目を転じようとしている政治的なリーダー層の夜の集い。情けなさの極みとしか言いようがないのですが。…… 国民の皆様はもっと怒っても良いのではないでしょうか。争いを嫌い、他者を許す優しさが稲作文化で歴史を刻んできた我が国民性なのであろうか。

 

 今回のブログは、上記にようなことを書き連ねようと思って始めたのではないのです。すっかり横道に逸れてしまいました。

 書きたかったのは、コロナ禍や豪雨被害をただの悲しい被害として捉えるのではなく、人智・人力の有限さを再認識する好機として我々の生活・社会・思考を見直し、長い将来展望に立っての転換を「今」為さなければならないと言うことでした。「のど元過ぎれば熱さを忘れ」ではなく、熱さを忘れず熱湯を飲み込まないように気を配るようにする、ということです。

 それについて、次回、愚考ながら思うところを書いていきます。…… ごきげんよう。