このごろ哲学書や難解な評論など読むことができなくなって(理解力・思考力が落ちた? 忍耐力が落ちた? 興味・関心が変わった?)、著者には誠に失礼ながら、司馬遼太郎氏や藤沢周平氏、池波正太郎氏などの時代(歴史)小説を楽しむのがせいぜいの所となった。
今日、妻の診察に付き添って待っている間に読んだのが、藤沢周平氏の文庫本『本所しぐれ町物語』であったが、末尾の藤沢氏と藤田昌司しの対談のなかでの藤沢氏の言葉に「なるほどなあ」と感嘆して妙に納得した。
その一部を引用すると「…… 今年の正月に私は<1日を全うする>ということを考えました。朝起きて寝るまで一日を全うできればよしとすべきだという意味です。いつどこでどういうことがあっても不平は言えない年齢に達したことはたしかですね。」ということばです。
ハイデッガーだったかが(「一寸先は闇」という言葉があるように)「人間の将来(未来)について確実なことはないが、唯一確実なことは<人は(必ず)死ぬ>ということである」と言ったような意味のことを述べていた(?)が、私も若かりし頃は自己の死について「いつか私も死ぬであろう」と言った漠然とした遠いことといった感じであったが、古希を超えた今となっては「今、死ぬかも知れない」と死が先のことではなくて身近なものとなった。朝目覚めると「今日も生きて目覚めることができた」とか「明日も妻とともに1日を過ごすことができるか」などと、1日の重みが変わってきたように思う。また更に、今日一日を生きていることができた(る)ことへの感謝の念といったものが湧いてくるようになりました。若いときに自らが生きていることが「当たり前」ではなくなったということでしょう。
今日はそれで何か言いたいというわけではありませんが、「なるほどなあ、私が何とはなく感じていたことを藤沢氏が的確に表現して下さった」と共感できたと言ったことを述べたかったと言うことです。
そういうことで、それでは…… ごきげんよう。