私は現在、兵庫県北部で生まれ育った農村地域で退職後、農林業を趣味程度にやっている。

 人生を振り返れば、高校まではここで育ち、大学に進学してから故郷を離れ、高校教員となって神戸で働いていたが、父が亡くなった後に一人残った母の元へ妻と戻って今日に至っている。

 

 県立高校で33年間、定年退職後に短期大学で講師から特任教授へと7年間の計40年間を教師を職業として働いたことになる。

 元々教師になりたかったわけではなく、子どもの頃から高校時代までは医者になりたかった。しかし理系科目の不得意を克服できず、結局は医学部ではなく文学部で哲学を学ぶ道に進んだ。哲学者になろうと大学院まで進んだが、深い思索力、創造的な思索力に限界を感じて職業選択に迷っていたときアルバイトで高校教員の非常勤講師のお話を頂いて、それが契機となって高校教員を職業として選択することになった。

 そのアルバイトは大阪にあった「カネボウ」という大企業の社内学校の社会科の非常勤講師の仕事で、中学卒で九州方面から就職してきた女子社員に働きながら高校卒業の資格を取れるように会社が援助して、NHKの通信教育を受ける機会を与えるものであった。当時は学習意欲はあっても女性の高校への進学率はまだまだ低い時代で、実際に授業をやってみると学習意欲も高く学習態度も良いため楽しく授業ができた。もともと一人っ子で人見知りが強くて対人関係が苦手だと自認していた私にとって、教師など多数の生徒と向き合う仕事は不向きだと考えていたが、この経験が少し自信になったと思う。

 

 教師を仕事として選んだ大きな理由がもう一つある。それは私が田舎の長男であり一人っ子であるため、家の後継者となるのが必然であるかのように教えられ育てられてきたと言うことがある。代々の百姓家ではあるが私で14代目の跡継ぎと言うことで、現家屋も江戸時代末期に建てられたものが残っているという古いだけが値打ちと言えば値打ちといった家ではあるが、ご先祖様が必死に働き家を守り発展させようと連綿と続いてきた重さを思えば、簡単には捨てられない、潰せないと感じていた。ご先祖の思いを受けて跡継ぎのレールを歩まねばならないように自然と身に沁みるように育てられたと言うことであろうし、そのレールを脱しようとの激しい思いも持たなかった。

 とすれば、当時田舎に帰って、学んだ哲学と大きく外れないで給料がもらえる安定した職業と言えば「公務員教師」しか思い浮かばなかった。当時、田舎で給料取りと言えば、教員の他には町役場や農協の職員か金融関係の仕事程度のものであった。そのような中で消去法で選択すれば県立高校の教員が残ったと言うことである。先述の「カネボウ」の経験もあり、結局、採用試験を受けて県立高校の教師となった次第である。

 

 人生を振り替えってみると、教員を選んだという私の職業選択に後悔はない、どころではなく大いに満足しているのが不思議でもある。今でも医者になれなかったことには少しの後悔はあるが、他にはどのような職も私にふさわしいと思えるものはない。

 強く望んだ道ではなくて、自分の置かれた状況や成り行きに従って進んだ道だが、進路決定などと言うものはそのようなものなのかとも思う。「なりたい」と強く願う職業を<天職>とできる人の割合はさほどに多くなく、流れに身を任せて就いた職業が<天職>となった人が案外多いのではないだろうか。

 

 自分の人生の振り返りから……… そんなことをフッと考えました。……… ごきげんよう。