文章が読めない「新聞読まない人」の末路 という記事を読んで | 太郎椎茸のブログ

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 標記のタイトルの新井紀子氏と佐藤優氏の対談の記事を読んで、思ったことをブログさせて下さい。

 

 AI(人工知能技術がますます身近なものになっている。ゲームなどの娯楽は増え、掃除や肉体労働から解放され、便利な世の中になってはきたが、反面、人間がAIの判断に依存することで「考える力」を失ってしまう世代が生まれてくることが心配されている。重ねて言えば、子どもが自分から主体的に何かを探す、求めていくのではなく、AIに推薦された、AIが与えてくることに無意識に従って生きていく、そのような受動的な子ども達がこれから育ってくることになるだろうという心配です。この心配克服のためにはどうすれば良いのだろうか。

 

 子ども達が自分が本当に何をしたいのか、自分で切実に欲求する前に与えられたものだけを消費してしまうことになる。このような状況の中においては、子ども達の創造性が育ち、生産者としての必要な判断や能力が育つのは困難なのではないだろうか。

 

 うがった言い方になるが(何度かかつてのブログでも危機感を述べているが)、当事者達にとっては国民大衆にAI時代という形でAIを浸透させていくことによって、政治的に自立(律)的判断を身につけさせまいとする陰謀が図られているのではないかと私は不信感を持っている。実際に新聞を読まずSNSに依存する度合いが強い人たちほど現政権を支持する傾向が高くなっている、と先述の著者の佐藤優氏は述べている。

SNSは決して客観的で公平なものではなく、政界・経済界にとって都合よく国民をコントロールできる媒体となる危険性を持つものと言えるのではないか。

 

 この危機を避けるためには、非論理なこと、おかしなことを、これは「論理的におかしい」「間違っている」と気づく力を持たねばならない。そのためのは、まずきちんと読解力を身につけないといけないと佐藤氏は語る。

 

 詳細を明快に語る力は残念ながら私にはないが、学校教育において国語と数学(算数)を基礎において論理力を高め、その上に哲学を学び思索する力を鍛えること、社会的関心を高めることが重要と考えるのだが。

 

 ………といったようなことを考えました。なにやら深まりに至らずに終わりますが、ご容赦を。では、ごきげんよう。