昨日は吹田までお葬式に行って殆ど1日外仕事ができなかったので、今朝は朝食後直後から小雨の中、ホダ木を2回運びました。今日は1日中雨とのことで、さすがに3回目は諦めました。作業道が雨でヌルヌルになると運搬車がすべって危険ですから。私の運搬車ヒラリーちゃんはゴムのキャタピラ(クローラ)ではありますが、やはり雨のぬかるみ坂道はこわいです。これで、約600本のうち半分くらい運び終わったでしょうか。

 

 ということで、今日の外仕事はこれで終わり。で、ブログを昼間から書いています。

 

 先日、かつて勤務していた高校の旧職員のいわば同窓会のようなものに参加しました。私のような既に退職したものから、現在は他校に転勤している現役までが集まって懐かしく旧交を温めました。「苦楽をともにした仲間の集い」といった感がありました。

 

 それはそれとして、ホダ木を運びながら、度々のお葬式に参列しながら最近よく考えるのは、「私の人生って何やろ?」、「私の存在意義」って何やろ? 何が楽しくて生きているんやろ? 何のために、何を目的に、何を生きがいに行きているんやろ? 『ジャン・クリストフ』だったかのなかで、ジャン・クリストフが自らの死を目前にして、「もう一度生まれ変わることができたら、今まで生きてきた人生と同じ人生を生きたい」と言ったような意味のことを述べて死に向かうのですが、私の場合、どうなんやろ?と考えます。

 

 団塊の世代として生まれて、高校時代までは医者になりたいとの夢を持ち、しかし、理数系がさっぱり伸びずに医師の道は諦めて哲学者の方へと方向転換。しかし、学者になるまでは深く徹底できずに、結局は縁あって、高校の社会科教員の道へ。暗中模索、試行錯誤を重ねながら、書物から、ドラマから、先輩の実践等から真似つつ、学びつつ必死で生徒達にとって良い教師でありたいともがいてきました。教頭・校長として管理職になってからは、公務員としての限界はあるものの、学校経営を担う者として入学した生徒達が充実して自らが成長できたと実感できる、この学校で学んだことに誇りを持てる学校づくりに、私なりに責任を果たすべく、また自己充実感を得たいと一心不乱に取り組んだ自負はあります。

 退職した後は、短期大学のこども学科で幼児教育の授業を7年間担当しました。途中1年間は認知症の母の介護を手伝うために求職しましたが。ここでも、学校活性化のために、素晴らしい幼児教育者育成の一端を担いたいと、ない知恵を絞り、少しでも良い授業をと学び、実践してきたつもりです。学生募集にも全力投球しましたし、学生の就職支援にもなりふりかまわず求人開拓にかけずり回りました。成功・失敗の結果はともかくとして、知恵を絞り、汗をかいて教員生活をやった68歳までは、なにはともあれ充実していたと思います。

 

 しかし、教育界から足を洗い農林業見習いの世界に入って2年間は、椎茸栽培を軸として、栽培や販売やと学び工夫し、それなりに充実していました。しかし今年に入って、古稀の歳となって疲れやすくなったためか、仕方なく仕事しているという感じを抱くようになりました。意欲やワクワク感が感じられなくなったのです。がんばってはいますが、「仕方なく」やっている感じが否めません。新たなことに挑戦したり、改善・工夫に試行錯誤したりする「楽しさ」が感じられない「寂しさ」でしょうか。何か「鬱状態」に近いものかもしれません。

 

 ア~ァ、やだねー。そういえば『何かおもしろいことないか子猫ちゃん』なんてタイトルの映画がなかったっけ。どうでもいいけど。

 

 ということで、今日は鬱気分で、「ごきげんよう」です。真夏に近い暑さの後の、肌寒い雨模様の天候も影響しているのでしょうかね。