「閑話導入」1/29: 「美人は3日で飽きるが、……」という戯れ言(ザレゴト)から思う。 | 太郎椎茸のブログ

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 「美人は3日で飽きるが、ブスは3日で慣れる」とやらの戯れ言がある。いかにも「ブス」という表現から女性に失礼な戯れ言だが、私が思うに、この言葉は女性にとって「美人であるかブス(失礼な表現をお許しを)であるかということはさほどに重要なことではない」ということを意味していると思う。「美人」であることは女性にとって高い値打ちがあるようであるが、それほど重視すべき事ではない。「美人・不美人」というような外面的なことよりもっとその女性の持つ内面的な美しさ・価値、能力のほうがはるかに重要であるということをいっていると思うのである。

 人の持つ食欲や性欲やといった「欲望」はさらなる欲望を引き起こすものである。例えば、高価なフランス料理、中華料理、高級料亭の和食であっても、そのどれか1種類を食べ続けるということになれば誰しも飽きるのである。たまにはお茶漬けが、ラーメンが、魚の干物が食べてみたくなるものである。男女の関係も似たところがあって、いくら羨むような美人女優を妻にしても、性欲・色欲というものに限っていえば飽きがきて、たまには他の異性とつきあいたいという欲望が起こって「不倫」だの「二股・三股」だのということが起こり離婚騒動やら文春砲やらで叩かれるなど、例に事欠かない。

 男女双方が互いのよいところを見出し、お互いを尊重・尊敬し、相互に「かけがえのない存在」と考えての関わりであれば、破綻はない。即ち、美女とかイケメンとか、高学歴、あるいは高収入、あるいは有名人であるなどの外面的なことにのみ目を向けるのではなく、人間としての内面的な生き方や考え方が、真・善・美に該当するものであるか否か、人間として尊敬・尊重できるよさを認識しているか、が重要であると考える。

 重要なのは欲ではなくて、「愛」である。仏教でいえば「慈悲」、儒教ならば「仁= 忠恕」であり、キリスト教ならば「アガペー」であろう。そのどれもが自己犠牲をいとわない「思いやり」であり、苦しみ・悲しみを与えず、苦しみ・悲しみを取り除こうとする「相手の立場に立った優しさ」である。相手の良いところを相互に認め合い、尊敬し、大切にする関係である。

 

 なぜ、今回のブログでこんなことを喋りたくなったのかといえば、過日のブログでふれた海老蔵さんの今は亡き妻の真央さんとの生前の夫婦としての関係のみならず、亡き後の海老蔵の悲しみの深さや、それらを乗り越えて芸に一層の磨きをかけようとする奮闘の心や、残された子どもに向ける眼差しなど、彼の生き方・考え方の背後に真央さんとの生活の中で、関係性の中で、前述の「愛」に近い相互関係があったのではないかと推測して「夫婦」というものについて改めて考えたからである。海老蔵夫妻の関係は単なる有名な歌舞伎役者と賢く美しいだけのフリーアナウンサーとの関係ではなかった、と思うからである。相互に尊重・尊敬し合い愛し合う関係であったのであろうと勝手ながら推測し、真央さんの早すぎる死は実に残念無念なものと感じる。

 

 一概に言えないが、できちゃった婚など欲に惑わされた安易な結婚が最近の離婚率の高さとも関係する面もあるのではないか。我々より一世代昔は、ほとんどが見合い結婚で結婚してから後にお互いを知り合い、次第に信頼関係が生まれ、子どもが産まれ、家族への責任感が生まれ、お互いの欠点は許し合い、良いところを認め合って、思いの外幸福に暮らした夫婦が多かったのではないかと思う。

 離婚が必ずしも悪いと言うことはないし、人生に失敗は避けられない。しかしながら、夫婦となった限りは相手のことを思いやり、子どもの人生への責任を考慮し、慎重に生きる義務はあろうと考えるのである。

 

 それでは、今日はここまで。ご機嫌よう。次回は閑話休題で、仏教に続いて「儒教」について触れたいと思います。