生まれてから高校卒業まで暮らし、結婚後ユータンして再び暮らし始めた集落は兵庫県朝来市和田山町久留引(クルブキ)である。若いときは何の関心もなかったが、古稀を前にして何故か自分の住む地の地名の由来や歴史を知りたくなった。自分の原点というかルーツというものなのか。

 そこで、まずはネットで「久留」のつく地名を調べ、其の由来から何かヒントになるもの、手がかりが得られるのではないかと考えたからである私の知っていたのは福岡県の「久留米」市であり、淡路市の「久留麻」神社くらいなものであった。ネットで調べると、西日本(一部中部も入るが)では、鳥取県湯梨浜町「久留」、大阪府富田林市の美具「久留」御魂神社、奈良県五條市の「久留野町」、和歌山県紀ノ川市の「久留壁」、三重県四日市市の「久留倍」官衙遺跡や伊勢市の「辻久留」、鈴鹿市の「久留真」神社、奈良県から大阪府にかけての「久留野」林道・峠などが挙げられる。東日本においては、神奈川県の「久留和」海岸・港、浜松市の「久留女木」、群馬県の「久留馬村」などがあるようである。

 次に、上記の各地の地名の由来を調べてみた。引用は全てネットからのものである。

 久留米市の由来は、①「玖留目神を祭祀した」ことによる、②大陸渡来の機織りの工人集団がこの地に住んでいたので「呉部(繰部クリベ)の居住した地」と呼んだのがクルメに転訛した、③筑後川が大きく蛇行していることから、それを意味する「クルメク(転く)」を語源とする、④用明天皇の皇子である「来目皇子(クメノミコ)」に由来する、との4説が挙げられていた。このうち、①と④はわが集落の氏神は熊野神社であること、その祭神などから考えて関連性はないと察せられる。②と③は後に述べるが、参考にするに値する説と考える。淡路市の「久留麻」はこの地の祭神である伊勢久留麻神社に由来し、本神社は上述の鈴鹿市の「久留真」神社を勧請したものと伝えられている。「久留真」神社の由緒によれば先の久留米の由来と似ており、中国の呉の漢織り、呉織り、衣縫兄姫、が来朝し、勅命によって伊勢の国民に紡績や衣縫などの文明技術を伝授した、とある。しかしこれらは先述の和歌山県にある熊野三山の熊野神社とは関わりがないと考えられるため参考にはならないと推察する。鳥取県湯梨浜の「久留」はヒサドメとの読みであり、参考になりがたい。美具久留御霊神社は美具久留御霊大神が大国主命の別名であることから、これも熊野神社と関わりが薄いと推察する。これに対して、現地調査をしたわけではないので確証は持てず推測に過ぎないが、五條市の久留野町、伊勢市の「辻久留」、「久留野」林道・峠、神奈川県の「久留和」海岸などは、「くるべく」という語があるように地形的に「くるくる回っている・曲がり道」といったところから由来するのではないか。また、紀ノ川市の久留壁、四日市市の久留倍、浜松市の「久留女木」(棚田で有名)などは、その地区が急傾斜地に在り、登り道を登る際に「クルブク=かがむ・かがみ込む」あるいは「クルメク=目眩がする・転く」ような状態になることに由来するのではないかと考えられる。其の意味では、(改めて後述するが)わが集落も山麓の傾斜地に集落があり共通項があると言える。

 以上、「久留」という地名を手がかりに由来を考えてきたが、次の回ではこれらの情報と郷土史の『兵庫県郷土誌叢刊・朝来志』(臨川書店刊・木村發著)や伝承を手がかりとしてさらに詳しく考察したい。 <②に続く>