昔からの友人や、後輩と仕事できる機会が増えて嬉しい、神原です。
いつでも二項対立な世の中に、未来と過去の間に、一点だけある現在の不思議。
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「欲で動かず、誠実に向き合えば」
所詮、いくら考え込んだところで人の頭の中で考えることなどいくら相手の気持ち、立場に立ったとしてもエゴ以外の何物でもないとは想いつつ、それでも相手のために何ができるかを考える、それをなるべくシンプルにやるのが仕事の基本だと考えます。
人をマネジメントする立場になったのは、比較的早かった気がするのですが、最初の頃の悩みはずっと「したい」と「すべき」の狭間に立つことでした。
「嫌われたくない」のに「叱るべき」。
「わかってほしい」のに「主張しないべき」。
マネジメントというものだけでなく、コミュニケーションの本質はいつでもここにある気がしています。
マーケティング自体もそうです。
「私たちは誰です!!を伝えること」ではなく「顧客の欲求を考えること」から始まるのがマーケティング。
エゴはいつでもビジネスを破壊する要因にしかならないものだと想います。
人と一緒にいると、いろんな思考、感情に溢れて。
それをその人にぶつけようとするのが人間で。
ここがすごく難しいところで。
その人を良くしたいと想うのであれば、「変えよう」とするのではなく「変わりたい」と想わせなければならないわけですから、「変わりたい」が生まれるストーリーを描いてあげなければなりません。
親が「勉強しなさい」と言って子供が勉強するわけないことと同じですよね。
進研ゼミの付録マンガは小学生ながら「すげー仕組みだなーこれ」と想ったことをよく覚えています。
「変わりたい」が生まれるストーリーをその人の心に合わせて描いてあげること。
そのためには、どのタイミングでどんな言葉が必要で、どんな言葉をぶつけちゃいけないということをしっかりと考えることが大事だと想います。
もちろん完璧な設計なんてないんだけど、それでもその人のためにできる、自分の考えが及ぶ範囲で、その物語を描いてあげること、これが今で言えば自分の仕事の1つかな、と。
人は自分の生きてきた歳月やその中で生まれた思い込みを簡単に否定できないから、観念を溶かしてあげる時間が必要で、男の子は論理的に考えようとするから限りなく正しいに近い論理のフレームを教えてあげなければならないし、女の子は感情的に捉えたりするから限りなく正しいに近いタイミングで言葉やイメージを伝えてあげなければならないわけで。
でもそんなものすべて考えて設計して、計算通りにやることなんてなかなか人間出来ないわけで。笑
最近自分はただただ論理を捨てて、自分の感性を信じた行動だけをとるべく、動いています。
僕が意思決定する時に信じられるのは、結局不確かな論理なんかよりも自分自身の感性であって、それを信じて何も考えていないときの方が結局うまくことが運んでいたりします。
その感性による意思決定の時に1つキーワードになっているのが「すべき」は何か、ということで。
わからないながら、自分のとるべき行動と真摯に向き合って、自分の欲求を捨てて動くこと、これだけ。
そんな話を再三社内でもしています。
プロフェッショナル、ってきっとそうやって動ける人なのだと。
「One for all, all for one.」も「自分がよりよくすることで、他人をよりよくする」も「汝の意思の格率は常に普遍的立法となるように行為せよ」も結局全部同じこと言っていますものね。
目的のために、何をすべきなのか。
誰かが離れても。
愛に裏切られても。
何かのカタチが失われても。
無駄な思い込みを一切省いた時に残るその信念を貫けるかどうか、だけが。
きっと。
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