Dvořák Yo Yo Ma Bělohlávek 2015
4 Lieder, Op. 82, B. 157: No. 1, Laßt mich allein
白木蓮が満開です。風は強くて寒いですが、春がそこまで来ているのが分かります。一方私は、編曲したものに間違いが幾つか見つかり訂正作業に追われています。花粉のせいだけでないでしょうか、やはり集中力にかけてきたのでしょうか凡ミスを連発しています。
ともするとこの協奏曲は、ボヘミアの音楽と黒人霊歌やアメリカン・インディアンの音楽を見事に融和させた作品などというふれこみが定着しているようです。確かに、アメリカ時代の終わり、チェコへの帰国直前の1894年から1895年に書かれた作品ですが、作品の主題が先住民インディアンや南部の黒人の歌謡から採られたという俗説は本人が否定しています。
ドヴォルザークは友人のオスカール・ネダブルに宛てて1900年に書いた手紙の中で明らかに否定しています。その後の研究でもそのような歌謡は見つかっていないと思います。このような誤解や多くの触れ込みは、この作品が親しみやすく覚えやすい旋律でできているせいだろうと思います。
誰が言ったか、他の作曲家が一つのフレーズで呻吟している間に、彼は2曲も3曲も書いてしまうと言われたほどのメロディストである上に、独奏チェロの技巧性を際だたせる場面をふんだんに用い、低音の金管楽器を巧みに用い、木管楽器に多くの豊かなフレーを与えて、シンフォニックで、かつ柔らかな充実した響きを創り上げています。
主題の扱いの巧みさ、強固な構成力は、ブラームスをして「人の手がこのような協奏曲を書きうることに、なぜ気づかなかったのだろう。気づいていれば、とっくに自分が書いただろうに」と嘆息したと言ったほどなのです。協奏曲という作品に大衆性と芸術性を見事に結合させた傑作で、チェロ協奏曲の範疇を通り抜け、協奏曲という分野のの最高傑作の一つとして評価されるに至ったのです。
<曲の構成>
第1楽章
Allegro ロ短調、比較的厳密なソナタ形式(協奏ソナタ形式)。4分の4拍子。
序奏はなく、曲の冒頭でクラリネットがつぶやくように奏でる主題が第1主題である。この旋律は、作曲者がナイアガラ瀑布を見た時に霊感を得て書いたとされる。第2主題はホルンが演奏するニ長調の慰めに満ちた主題。オーケストラがこれらの主題を提示し、確保した後、独奏チェロが第1主題を奏で、その動機をカデンツァ風に発展させながら登場する。速い動きの経過句を経て第2主題を独奏チェロが奏で、提示部コーダから展開部へと移る。再現部は、オーケストラが第2主題を演奏して始まり、独奏チェロがこれを繰り返す。次いで提示部のコーダ、第1主題の順に再現される。最後はロ長調でトゥッティによる短いコーダで力強く終わる。
第2楽章
Adagio ma non troppo ト長調、三部形式。4分の3拍子。
ドヴォルザークのメロディーメーカーとしての天賦の才能がいかんなく発揮された、抒情性に満ちた旋律を堪能できる緩徐楽章。のどかな主題が最初木管楽器で提示され、これを独奏チェロが引き継ぐ。木管と独奏チェロが掛け合いで進行するうち徐々に他の弦楽器も加わり発展させてゆく。ト短調の中間部はオーケストラの強奏で表情を変えて始まるが、すぐに独奏チェロがほの暗い主題を歌い上げる。この主題はドヴォルザーク自身の歌曲「一人にして Lasst mich allein!」op.82-1 (B.157-1)によるものである。やがて第1主題がホルンに再現され、第3部に入る。独奏チェロがカデンツァ風に主題を変奏し、最後は短いコーダで静かに終わる。
第3楽章
Allegro moderato ロ短調~ロ長調、自由なロンド形式。4分の2拍子。
ボヘミアの民俗舞曲風のリズム上で黒人霊歌風の旋律が奏でられるドヴォルザークならではの音楽である。ロンド主題の断片をオーケストラの楽器が受け渡しながら始まり、やがて独奏チェロが完全なロンド主題を演奏する。まどろむような第1副主題、民謡風の第2副主題といずれも美しい主題がロンドの形式に則って登場する。終わり近くで、第1楽章の第1主題が回想されると急激に速さを増して管弦楽の強奏によりロ長調で全曲を閉じる。
あなたはドヴォルザークがこの協奏曲にある曲を挿入したのをご存知ですか?当時ニューヨークで作曲中に、ドヴォルザークの夫人の姉であるヨセフィーナ・カウニッツ伯爵夫人が重病であることを知ります。彼女は、彼が若い頃に想いを寄せた人でした。病気の知らせを聞いたドヴォルザークは、彼女が好んでいた自作の「一人にして」をこの協奏曲に引用したのです。
その後1895年の4月にドヴォルザークは家族と共にプラハへと帰国しますが、その1ヵ月後に彼女は亡くなっています。彼女の死後、ドヴォルザークは第3楽章のコーダに手を入れ、4小節しかなかった部分を、第1楽章の回想と再び歌曲の旋律が現れる60小節に増やしたと言います。
今は遠い昔の話ですが、上野霄里氏の「ロ短調の女」という著作を読みました。恐らくはロ短調と言うのは、ある種メランコリックであるとか孤独と言ったイメージがついて回るようです。この作品も切ないところもなくはありませんが、全体としては力強い作品に仕上がっていて重厚な響きがします。
<演奏者>
ヨーヨー・マ(馬 友友、Yo-Yo Ma、Mǎ Yǒuyǒu、1955年10月7日 - )は、フランス出身のチェリストである。中国系アメリカ人。
1955年10月7日、フランスのパリで生まれる。父の馬孝駿は、中国寧波生まれで、オーケストラ指揮者、作曲家。母の盧雅文は、香港生まれで、南京国立中央大学出身の声楽家。ヨーヨー・マの両親は中国を離れパリに渡りその後、彼が7歳の時にニューヨークに移り住んだ。家族は今もニューヨークに住んでいる。
1960年、4歳でチェロを始める以前の幼少の頃より、ヴァイオリンやヴィオラを習い、5歳にしてすでに観衆を前に演奏を行った。8歳でレナード・バーンスタインが行ったコンサートでアメリカのテレビに出演した。クラシック音楽から現代音楽までの幅広いレパートリーを持ち、デビュー当時のテクニックは世界最高ともいわれていた。
1976年に、ハーバード大学を卒業、人類学の学位を取得した。ちなみにハーバード大学入学以前にジュリアード音楽院でレナード・ローズの下で学んでいたが、教師に「君に教えることはもう何もない」といわれ、コロンビア大学を経てハーバード大学に入学したという逸話がある。それでも1970年代にパブロ・カザルスの偉大さに触れるまでは、まだ学習を続けるべきか否かを迷っていたという。
イジー・ビェロフラヴェク(チェコ語発音: [jɪr̝iː bjɛloɦlaːvɛk]、1946年2月24日 - 2017年5月31日)[1]は、チェコの指揮者。1990年にはチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となり、1990-92年、2012-17年の計7年間に2度指揮を務めた。また、2006年から2012年までの6年間、BBC交響楽団の首席指揮者を務めた。アントニン・ドヴォルザークやボフスラフ・マルティヌーなどのチェコの作曲家の作品を演奏したことで国際的な名声と名声を獲得し、チェコの音楽専門家であるミヒャエル・ベッカーマン教授からは「チェコのオーケストラ音楽の最も深い提唱者」と認められました。
※ 以前の記事
チェロ協奏曲ロ短調 (Kleine Partitur)
アントニン・ドヴォルザーク
ヨーヨー・マ
ロリン・マゼール・ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1.チェロ協奏曲ロ短調 作品104 第1楽章 アレグロ
2.チェロ協奏曲ロ短調 作品104 第2楽章 アダージョ、マ・ノン・トロッポ
3.チェロ協奏曲ロ短調 作品104 第3楽章 フィナーレ:アレグロ・モデラート
4.森の静けさ 作品68-5
5.ロンド ト短調 作品94

