Darius Milhaud Quintette à vent op 443 1973
Darius Milhaud 1892-1974
Quintette à vent op 443 1973
1. Gai
2. Lent
3. Allègre une des dernières oeuvres de Milhaud!
Aulos-Bläserquintett
この作品の実演の動画が見たかったのですが、出てくるのは「ルネ王の暖炉」ばかりでした。まあ理由は判る気がしますが、この曲は書き上がる直前まで、五線紙に一音一音を書きつけていたと言いますからその気持ちを味わって聞きたいと思います。
1940年、ユダヤ人であったミヨーは、前年に始まった第二次世界大戦を避けるためにアメリカ合衆国に逃れます。アメリカでは、カリフォルニア州のミルス・カレッジで作曲の教授に迎えられ、サンフランシスコ交響楽団、シカゴ交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、ボストン交響楽団などで客演指揮者を務めます。こうした中で、シカゴ交響楽団創立50周年のための委嘱作品「交響曲第1番」、クーセヴィツキー夫人ナタリーを追悼するためクーセヴィツキー財団による委嘱作品「交響曲第2番」んどの初演もあります。
また、楽譜出版社からの依頼により、吹奏楽のための「フランス組曲」が作曲されています。その後も歌劇「ボリヴァール」を作曲しましたが、それまでの「クリストフ・コロンブ」、歌劇「マクシミリアン」と合わせ、これらを総称して「中南米三部作」と呼ばれています。
戦後はフランスに戻り、アンリ・ビュッセルの後任としてパリ音楽院の作曲科教授に任命されますが、アメリアのミルス・カレッジには1971年まで在職しましたから、1年おきにフランスとアメリカを頻繁に行き来しています。
戦後の作品には、同時に演奏すると弦楽8重奏になる「弦楽四重奏曲第14番」と「第15番」、ミュージック・コンクレートによる「詩的練習曲」、合唱、管弦楽に雑音を用いたカンタータ「紙とステロ板との結婚」、奏者の自由な演奏による偶然性を狙った朗読と7つの楽器のための「4行詩の組曲」などの新たな試みも見られました。
1956年、長年の友人であったオネゲルの死に衝撃を受け、追悼のために「弦楽五重奏曲第4番」を作曲します。後任としてオネゲルが務めていたフランス・ディスク・アカデミーの会長を引き継ぎます。
1971年にミルス・カレッジを退職し、新しい創作の場としてジュネーブを選んですごします。80歳を超えても創作意欲は衰えず、1974年6月22日、ジュネーヴで没しました。81歳。前年に作曲された木管五重奏曲op.443が最後の作品となりました。
※ 以前の記事
○ 木管5重奏① ダリウス・ミヨー木管5重奏「ルネ王の暖炉」
※ 演奏会のご案内⑫
Milhaud, Darius QUINTETTE, P.SCORE
<解説>
D.ミヨーはフランス6人組の1人として活躍した近代フランスの作曲家で、生涯において、交響曲をはじめあらゆるジャンルの作品を書き上げました。特に室内楽に興味をもち、あらゆる楽器編成を試み、また、亡くなる9ヶ月前まで作曲を続けました。その最後の2曲(1973)が「弦楽四重奏曲 作品442」と、この「木管五重奏曲 作品443」です。翌年(1974)に生涯を閉じ、この2曲は「弦楽四重奏曲」が活躍の場ニューヨークで、「木管五重奏曲」が故郷アヴィニョンで、1975年に初演されました。この集大成となる総譜は、病床で1音、1音書き刻まれて、1ヶ月毎に各楽章を書き上げ、刻々と迫ってくる時を待つかの如く各楽章の終わりに完成日付を記しています。3楽章構成で書かれ、各楽器は自由奔放に旋律を奏でて多調性の綾を織り、神秘的です。I. GAI(1973年 7/26)、II. LENT(同年 8/15)の中間部(33~45小節)には祈りのCHORALが書き込まれ、最終楽章はIII. ALLÈGRE(同年 9/13 ジュネーヴ)。タイトルと共に、〈妻マドレーヌに捧げる、共に過ごした50年間の良き幸せの時〉と記されました。