ホルンの出番です357 ユン・ゼン「アンダンテカンタービレ」他 | 翡翠の千夜千曲

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P. Tchaikovsky - "Andante cantabile" Yun Zeng, French horn and Mariinsky theatre orchestra

 

 

 

 

 トルストイと言う作家は、単に人気があると言うだけの存在ではありませんでした。多くの人々が、彼を尊敬していました。1876年12月にモスクワ郊外の領地ヤースナヤ・ポリャーナから久々にモスクワに来たレフ・トルストイに敬意を表して、ニコライ・ルビンシテインは特別音楽会を催しました。この時にはこの曲も演奏されたが、アンダンテ・カンタービレが演奏された時、チャイコフスキーの隣に座っていたトルストイは感動のあまり涙を流したことが伝えられています。

 作曲家としても、こんな名誉なことはありません。このことについて、チャイコフスキー自身は、10年後の1886年7月2日の日記に「あの時ほど、喜びと感動をもって作曲家として誇りを抱いたことは、おそらく私の生涯に二度とないであろう」と振り返っています。

 ニコライ・グリゴーリェヴィチ・ルビンシテイン( Nikolai Grigor'evich Rubinshtein, 1835年6月2日 - 1881年3月23日)は、ロシアの音楽教育者であり、ピアニストで作曲家、そして有能な指揮者でした。アントン・ルビンシテインの弟で、チャイコフスキーの親友でもありました。

 1865年にサンクトペテルブルク音楽院を卒業したチャイコフスキーは、ニコライ・ルビンシテインの要請を受け、ルビンシテインの創設したモスクワ音楽院の教師に赴任しました。後進を育てるべく、指導に当たりながら作曲活動に取り組んでいました。暮らしは楽ではなかったようですが、作曲家としての実力や評価を少しずつ獲得しつつありましたので、ルビンシテインはチャイコフスキーに、自作による演奏会を開くことを提案します。経費その他も配慮して小ホールでの演奏会になりましたが、それに向いたプログラムを組むのに曲数が足りなかったので、間に合わせるように作曲されたのがこの弦楽四重奏曲なのです。

 この演奏では、オーケストラ伴奏によるアレンジで、Yun Zengユン・ゼンのソロによるものです。 1999年に四川省で生まれたユン・ゼンは、2022年2019月からシュターツカペレ・ベルリンの首席ホルンを務めています。彼の楽器への愛情は、四川交響楽団の首席ホルンである父親のJie Zengに触発されました。彼は息子に最初のホルンのレッスンをしました。その後、北京中央音楽学院でクァン・ウェンに師事し、ジュネーブ高等音楽院でブルーノ・シュナイダーに師事しています。ソリストとして中国国内の数多くのオーケストラと共演し、2019年チャイコフスキー・コンクール第1位、2021年ARD音楽コンクール第2位など、いくつかの国際コンクールで成功を収めています。Yun Zengベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席ホルンの空席になっていましたが、オーケストラはオーディションでユン・ゼンを選びました。オーケストラは、マリーンスキー歌劇場管弦楽団です。現在は、11月からベルリンフィル首席。バヴォラークの再来か、音が暖かくていいです。

 

<楽曲の構成>

第1楽章 Moderato e semplice ニ長調 9/8拍子

 息の長い第1主題で始まるソナタ形式。チャイコフスキーにしては珍しく、提示部に反復指定がついている。テンポを上げた華麗な終わり方が印象的である。

第2楽章 Andante cantabile 変ロ長調 2/4拍子

 中間部をもとにしたコーダを伴う三部形式。冒頭の有名な旋律は、チャイコフスキーがウクライナのカミャンカで聴いた民謡に題材を得ている。

第3楽章 Scherzo (Allegro non tanto e con fuoco) ニ短調 3/8拍子

 活気に満ちたスケルツォ楽章である。

第4楽章 Finale (Allegro giusto) ニ長調 4/4拍子

 ロシアの民俗舞曲風の第1主題をもつソナタ形式である。憂鬱なアンダンテの部分をはさみ、激しいフィナーレに向かう。

 今回は、第二楽章だけですが、改めて聞くと、室内楽の域を超えた着想でチャイコフスキーの発想と若き日の情熱が遺憾なく発揮された作品です。グリエールのコンチェルトとの組み合わせはかなり極端な感じがしますが、ご馳走には違いなさそうです。

 

 

 今日は楽譜も、CDもありません。特別仕立ての作品です。