Combattimento speelt Unico van Wassenaer bij Delden Klassiek
トゥイッケル城の住人であり、政治家であり作曲家でもあったヴァッセナー・オブダム伯爵ウニコ・ヴィルヘルムの没後250周年を記念して、コンバットティメントはデルデン・クラシエクで特別コンサートを開催しました。デルデンのOude Blasiuskerkは満員御礼で、アンサンブルはUnico van Wassenaerの作品を演奏しました。ここでは、アルモニチ協奏曲第6番から一部の楽章を紹介します。 協奏曲II.変ロ長調
Unico Wilhelm van Wassenaer – 6 Concerti Armonici
"Concerti Armonici - for string orchestra and basso continuo
Written by Unico Wilhelm van Wassenaer in between 1725 and 1740
Performed by the Aradia Ensemble, conducted by Kevin Mallon.
Concerto 1 in G major
00:00 - I. Grave
01:59 - II. Allegro
04:58 - III. Un poco andante
08:36 - IV. Allegro
Concerto 2 in B-flat major
10:58 - I. Largo andante
15:09 - II. Da capella: Presto
16:48 - III. Largo affettuoso
19:04 - IV. Allegro moderato (! Tarantella in Stravinsky's Pulcinella !)
Concerto 3 in A major
20:55 - I. Grave sostenuto
21:35 - II. Da capella - Andante mordante
24:19 - III. Largo andante
26:57 - IV. Vivace
Concerto 4 in G major
30:02 - I. Largo
32:22 - II. Da capella non presto
34:19 - III. Largo affettuoso
38:03 - IV. Allegro
Concerto 5 in F minor
40:15 - I. Adagio - Largo
42:53 - II. Da Capella
45:07 - III. Con sordini
48:33 - IV. A tempo giusto
Concerto 6 in E-flat major
50:20 - I. Affettuoso
53:24 - II. Presto
55:05 - III. Largo
56:35 - IV. Vivace
子どもの頃、大工さんが家に来て仕事をしているのを何時間も見続けていました。そうすると、大工さんは鉋(かんな)屑や木の切れっ端をくれたりします。私は、まるで鰹節を削ったような薄く透き通る美しい木肌を見ては、うっとりとしていたことを思い出します。
そうです、大工さんの妙技は、鋸(のこぎり)、指矩(さしがね)は別名曲尺(かねじゃく)、 鑿(のみ)、玄翁(げんのう)、墨壺、斧や釿(ちょうな)といったものから生み出される芸術品なのです。それは、呆れるほどに機能的で、美しく、見ている者を魅了するのです。大工さんは、やわら鉋で削ったばかりの二枚の板を合わせて、片方の一枚をつまみ上げます。二枚の板は離れずに持ち上がります。この手品のような神業に、私は思わず拍手をしたものです。
後に聞きましたが、この大工さんは八郎さんと言う方で、宮大工だったそうです。指矩はスーパーコンピュータに匹敵し、尺貫法が生きていた時代の妙技と言えます。1958年12月31日限り計量法によって使用が禁止されました。最悪の悪法だと私は思っています。これによって、紙のサイズも今のB4からA4中心のサイズに変更されました。日本の古い時代の木造建築では、中心となる柱に北斜面の木と南斜面の木を合わせてつかったり、曲がった木でも水平を取れば横柱に仕えるのです。良く見ればこの木は釿で削られたごつごつしたものです。
話題は変わりますが、数年前からタレントのドゥイットユアセルフに挑戦する番組がありました。華奢な女子のタレントが壁をドリルやハンマーでぶち抜き、間取りを変え、新しく壁を作り直し、ペンキを塗り家一軒を生まれ変わらせるなどと言う番組がありました。音楽でも料理でも、素人が実に鮮やかに変身していく様は面白いものです。もっとも、この人たちはただの素人ではなく、世間が知らないだけでそれ相応の努力はしているのですが…。
これは美術や音楽にもあります。ボッシュなどと言う画家はいわゆる日曜画家ですし、ボロディンは日曜音楽家を自称していた科学者でしたし、アイヴスも「不協和音で飢えるのはごめんだ」だと言って保険会社に勤めていました。そして、今日の主人公も日頃食うには困らぬ、いやいやそれどころかお金持ちのオランダ(正式にはネーデルランド)の貴族でありました。
ユニコ・ヴィルヘルム・ファン・ヴァッセナール・オブダム伯爵(Unico Wilhelm rijksgraaf van Wassenaer Obdam, 1692年11月2日、ネーデルラント連邦共和国デルデンDelden - 1766年11月9日、デン・ハーグ)は、オランダの貴族でアマチュア作曲家です。その作品「コンチェルト・アルモニコ」は、最近まで誤ってジョヴァンニ・ペルゴレージ作曲と伝えられていました。
ライデンで法学などを学び、1725年から1740年の間に「コンチェルト・アルモニコ」を作曲しましたが、貴族であることから自らの名を出して出版することを望まなかったと思われます。あるいは、自らの作曲の価値をそれほどのものとは思っていなかったかもしれません。結局この作品は、1740年にイタリア人ヴァイオリニストのカルロ・リッチョッティ(Carlo Ricciotti、1681年 - 1756年)によって出版されましたから、その当時はリッチョッティが作曲者だと思われていたようです。
その後、19世紀にポーランドの作曲家フランソワ・レッセル(Franciszek Lessel)によって、このコンチェルトはペルゴレージ作曲であるとみなされました。イタリア様式のコンチェルトで、ヴェネツィア楽派の三楽章コンチェルトではなく、ローマ楽派に典型的な四楽章コンチェルトで構成されており、ピエトロ・ロカテッリなどの比較になるからというものでした。
その後真実が明らかになります。1979年に、「コンチェルト・アルモニコ」の6曲の自筆譜がトヴィッケル城(Twickel)の公文書館で発見されたのです。トヴィッケル城はファン・ヴァッセナール伯爵の生地です。タイトルには「'Concerti Armonici'」の表記があり、その筆跡はヴァッセナール本人のものではなかったものの、自筆でフランス語による前書き(「リッチョッティ氏によって出版された拙作の譜面"Partition de mes concerts gravez par le Sr. Ricciotti" 」)が書かれていました。その後アルベルト・デュニング(Albert Dunning)の調査によって、「コンチェルト・アルモニコ」が間違いなくファン・ヴァッセナールの作品であることが明らかにされました。
ユニコ・ファン・ワッセナールは、おそら1725年から1740年にかけて、ウィレム・ベンティンク伯爵と共同で限られた貴族の聴衆のために開催したハウス・コンサートのためにこれらの曲を作曲したと思われます。1740年にデン・ハーグのリッチョッティでウィレム・ベンティンク伯爵に献呈されていますが、作曲家については言及されていません。おそらく、ウニコ・ファン・ワッセナール自身は、どこかで冷静な自分がいて、この作品に対しての自分の音楽的才能に納得していなかったと思われます。
先に述べた通り、当時はジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージの作品と考えられていたのですが、驚きはイーゴリ・ストラヴィンスキーのプルチネッラ、タランテッラの基礎となった作品の一つだということです。
6つの協奏曲はすべて、和声の豊かさとイタリア風の影響を受けた旋律の創意工夫を特徴としています。各協奏曲は、それぞれ2つの速い楽章と2つの遅い楽章からなる4つのパートで構成されています。これらの作品は、叙情的なパッセージと内省の瞬間、ダイナミックなダンスパートが交互に現れる印象的なソノリティで聴き手を魅了します。
※ 演奏会のご案内
○ ベートーヴェン ピアノとヴァイオリンの為のソナタ全曲演奏会
※ お知らせ
ネットでも各社予約受付中です(ネット発売日は11月1日、昨日です)
Unico Wilhelm van Wassenaer – 6 Concerti Armonici IMSLP
Van Wassenaer: VI Concerti Armonici
Mike Fentross La Sfera Armoniosa