Francesco Landini: "Ecco la primavera"
ECCO LA PRIMAVERA - Francesco Landini (ca.1330-1397) Enea Sorini, Catalina Vicens)
Ecco la primavera
che 'l cor fa rallegrare;
temp'è da 'nnamorare
e star con lieta cera.
No' vegiam l'aria e 'l tempo
che pur chiama allegreza;
in questo vago tempo
ogni cosa ha vagheza.
L'erbe con gran frescheza
e fiori copron prati
e gli alberi adornati
sono in simil manera.
Enea Sorini - voice, tambourine
Catalina Vicens - portative organ
Recorded in Basel-Land Switzerland
23rd April 2018
※ 「primavera」とは春のことです。ボッチチェリの絵のタイトル思い出してください。
今日は、昨日聴いた音楽よりさらに古い時代ルネッサンス前期の音楽を聴きたいと思います。この音楽は14世紀のものですが、どのように記譜されていたのでしょうか。私の資料では手薄なためあちこちから集めてお見せしたいと思います。
先ずは、楽譜の歴史をかなり大雑把ですが、見てみましょう。
この楽譜は、今見ることのできる最古の楽譜で古代ギリシャの楽譜(複製)です。私たちには、殆ど理解できません。
ネウマ譜
9世紀ごろになるとキリスト教の正式な儀式を執り行うのに経典やら音楽を整える必要が出てきました。しかも、どこでも同じように行う必要がありましたから、そこからネウマ譜と言う楽譜が生まれます。(上)
これが11世紀ころになると4本線である程度の長さも分かる楽譜になります。
11世紀ころの楽譜
定量法と言う楽譜の時代を経て、私たちの知っている5線譜になるまでは更に紆余曲折があります。
アントワーヌ・ビュノワ(Antoine Busnois 1430年頃 - 1492年11月6日)の楽譜
ですから、今日の主人公「ランディーニ」の時代は、ビュノアの100年ほど前になりますから、ビュノアの楽譜よりも更に不備な物だったかもしれません。動画の下にある楽譜は、現代風に書き直した楽譜です。
さて、フランチェスコ・ランディーニ(ランディーノ)(Francesco Landini,1325~1335年生まれ)は、イタリアの作曲家でオルガニスト、歌手、詩人、楽器製作者でした。14世紀後半で最も有名かつ尊敬された作曲家の1人で、イタリアではことに有名でした。
彼の生涯についての詳細は不明ですが、フィレンツェの文献などから、その概略は分かって来ました。1325年頃の生まれの年代記作者フィリッポ・ヴィッラーニによる1385年のフィレンツェ市民に関する本が、ランディーニの生涯に関する情報源です。
父親はジョット派の著名な画家でした。子供の頃、天然痘にかかって失明したことで、ランディーニは早くから音楽に打ち込むようになり、リュートなど多数の楽器演奏、歌、詩作、作曲を習得しています。ヴィッラーニは、ランディーニがリュートとプサルタリーを結合させた「syrena syrenarum」というバンドゥーラの先駆けと思われる楽器などを発明したと書いています。
年代記によれば、ランディーニは1360年代の数年間ヴェネツィアに滞在していましたが、その間にキプロス王から月桂冠を授けられたと書いています。ランディーニの音楽のいくつかがその証拠で、たとえば、あるモテットは1368年から1382年までヴェネツィアのドージェを勤めたアンドレア・コンタリーニに献呈されていることや、ランディーニの作品のことが北イタリアの文献によく出てくるようです。
1361年、ランディーニはフィレンツェのサンタ・トリニタ修道院のオルガニストに雇われ、1365年以降はサン・ロレンツォ聖堂で働いています。ランディーニはトレチェント音楽の作曲家の多くと面識があり、その中でもロレンツォ・ダ・フィレンツェはサンタ・トリニタ修道院で一緒でした。1975年頃かあるいはそのすぐ後、アンドレアはフィレンツェの下僕会(Servite Order)のオルガン製作の相談役にランディーニを雇っています。楽器を調律する3日間に二人が飲んだワインの領収書が残っているといのです。こんなものが、資料になるのですから面白いです。
当時の作家たちの多くが、作曲家のみならず歌手、詩人、オルガニスト、さらに情熱的に献身的なフィレンツェ市民としてのランディーニの名声を証言しています。音楽で聴衆を感動させるというランディーニの評判はかなり高く、作家たちは「その旋律の甘美さはまるで胸から心臓を飛び出させるほど」と記しているのです。
ランディーニは死後、フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂に埋葬されましたが、一時期行方しれずでしたが、現在では再び教会に展示されていて、そこにはポルタティフ・オルガンのようなものを持ったランディーニの姿が描かれています。
ランディーニは、「イタリアのアルス・ノーヴァ」と呼ばれることもあります。イタリア・トレチェント様式の代表的人物でした。現存しているランディーニの作品はもっぱら世俗音楽ですが、宗教音楽を作った記録もあるが、1つとして残されていません。現存するものには、2声のためのバッラータが89曲、3声のためのバッラータが42曲、2声と3声のヴァージョンが両方あるバッラータが9曲、他には、少ないが中世マドリガーレなどです。ランディーニは自分の作品の多くに自分で詞を書いたと言われています。作品は主にスクアルチャルーピ写本の中に残されていて、それは現存する14世紀のイタリア音楽のほぼ1/4です。
ある人物は、フランチェスコ・ランディーニを理論的かつ実用的な音楽家とよび、生まれてから盲目ながら、ほとんど神の知性を持っていたため、音楽のレパートリーの微妙な比率を習得していました。さらに、彼は哲学者や芸術家の友人と彼の音楽についてだけでなく、それらすべてに精通していたので、すべてのリベラルアートについても話し合うことができました。
音楽の寓意、イタリアのボエティウスによるデ・インスティテューテューテューテ・ムジカからの照らされたページ、原稿V A folio 27、イタリア14世紀。ナポリ国立図書館
当時演奏されていた楽器の中で、ポルタティブオルガンは、月桂樹の冠をかぶった青い服を着た女性としての音楽の寓話で上の写本画像に見られるように、最も高く純粋であると考えられていました。※ポルタティブオルガン=ポータブルオルガン
ゲストが食事をした後、フランチェスコは彼の携帯用オルガンを持って到着し、すべてが驚いたほど甘いハーモニーでとても楽しい方法でそれを演奏し始めました。ダプラートによると、この輝く場所で、彼は無限の香りですべてを酩酊させました。
カタリナ・ビセンスとエネア・ソリーニが演奏するエッコ・ラ・プリマヴェーラを聴いてもらいましたが、歌い手と演奏者の表情や動きが生き生きしていると思いませんか。この時代の音楽は、科学的に音楽構築美を追求し、それを支える技術を体系化した見事なメソッドをほぼ完成させた、パリのコンセルバトワールの教える音楽とはまるで違っています。
Ecco la primavera
Ecco la primavera
che 'l cor fa rallegrare;
temp'è da 'nnamorare
e star con lieta cera.
ここに春が来る,
それは心を喜ばせます,
それは愛と楽しい
類似性を持つ季節です.
No' vegiam l'aria e 'l tempo
che pur chiama allegreza;
in questo vago tempo
ogni cosa ha vagheza.
空気と季節はどちらも
幸せを生み出します。
この素敵な時間には、
すべてが視力を持っています。
L'erbe con gran frescheza
e fiori copron prati e gli alberi adornati
sono in simil manera.
新鮮さ抜群の草 そして花に覆われた野原
そして同様に飾られた木々
すべてが共通のファッションを共有しています
※ 演奏会のご案内
○ ベートーヴェン ピアノとヴァイオリンの為のソナタ全曲演奏会
○ 藝大スペシャルオーケストラ 藝祭2023年 9月1・2・3日
今日は、演奏会ですので、記事は昨日作成しました。参考資料 楽譜の進化 ウィキペディア他
声楽アンサンブル作品集(セカンド・サークル)(アノニマス4)
LANDINI, F.: Vocal Ensemble Music (The Second Circle) (Anonymous 4)
1、春は来たりぬ Ecco la primavera