Ivor Gurney: Prelude in D flat
Ivor Gurney: A Gloucestershire Rhapsody
Five Elizabethan Songs by Ivor Gurney(1919~1920年作曲)
Amber Opheim, Soprano Dr. Vance Reese, Piano Ivor Gurney, Five Elizabethan Songs
I. Orpheus Min 0:07
II. Tears Min 1:37
III. Under the Greenwood Tree Min 4:20
Ⅳ. Sleep Min 5:39
Ⅴ. Spring Min 8:24
今日は、殆どの人が知らないだろうという人物ガーニーを紹介したいと思います。かく言う私もそれほど詳しくはないので、資料を基に書いていきます。そんな訳で、ピアノ曲、管弦楽曲、歌曲の3つの違ったタイプの作品を並べてあります。音楽を聴くだけで、この人物が非常に感性の鋭敏さ繊細さを持ち合わせた人物であることを感じ取ることができます。そしてこの傾向が彼をまた苦しめたようです。
Ivor Bertie Gurneyアイバー・ガーニー (1890 年 8 月 28 日 – 1937 年 12 月 26 日) は、英国の詩人で作曲家、特に歌曲にすぐれた作品を書いた作曲家でした。彼はグロスター(イギリス南西部)で生まれ育ちました。少年時代、彼はグロスター大聖堂の聖歌隊員であり、オルガニストのハーバート・ブリューワー博士に師事しました。
1911年、彼は王立音楽大学への奨学金を獲得し、チャールズ・スタンフォード卿の下で作曲を学びましたが、精神的な問題が彼の学びを中断させ精神の故障につながったようです。ガーニーは第一次世界大戦中にグロスターシャー連隊に所属し、ソンムで戦い、最初に肩を負傷し、その後毒ガスを吸い込んでしまいます。塹壕にいる間、彼は多くの歌と素晴らしい詩を書きました。戦後、彼はロイヤル・カレッジに戻って作曲の研究を続け、今度はラルフ・ヴォーン・ウィリアムズに師事しました。しかし、彼の情緒不安定は依然として問題であり、彼はすぐに大学を退学しました。しかし、彼は詩と音楽を書き続け、1919 年から 1920 年にかけてグロスターシャー ラプソディを作曲したのです。
彼は人生の大半で双極性障害に苦しみ、過去 15 年間を精神病院で過ごしました。ガーニーの批判的評価は、このことと、彼の詩と音楽の両方を評価する必要性によって複雑になっています。ガーニー自身は、音楽こそが自分の真の天職だと考えていました。悲しいことに、彼の精神状態は悪化し、1922 年に最初はグロスターで、後にロンドンで精神病院に収容されました。彼は 1937 年 12 月 26 日に結核で死亡しました。
ガーニーは数百にのぼる楽曲を生み出したが、その中でもっとも知られているのは『5つのエリザベス朝歌曲』(連作エライザ)などの歌曲である。これらの作品はガーニーの墓石に刻まれているように彼が『美の愛好家であり創造者』であり、ガーニーが愛したシューベルトやシューマンの影響は認められるにせよ、ガーニー独自の個性は明瞭である事を示している。ガーニーは歌曲のほかにピアノのための器楽曲も遺している。
ガーニーは死後しばらくの間、詩人としてより作曲家としての認知度が高い時代が続いたが、エドマンド・ブランデンらの尽力により、今日では詩人としての評価も同等となるにいたっている。ガーニーは第一次世界大戦の従軍体験をテーマとしたもっとも偉大な詩人のひとりとして評価されている。ガーニーの戦争詩の作風は戦場描写とイングランドの景色を対比させることが多いのが特徴で、この点ではガーニーが賞賛していた戦争詩人エドワード・トーマスの作風との共通点を示している。 ウィキペディア
双極性障害とは、極端な躁と鬱を繰り返す障害を言うようですが、別の文献によれば総合失調症ではなかったかと書かれています。それによれば、もともと過敏な精神を持っていた上に、何度か遭遇した命の危機に精神が耐えられなかったのではないかと思われています。
今も続く、戦争の犠牲者やトルコやシリアの大きな地震による犠牲者とその家族はどんなに傷ついているのでしょう。疑政者の治める国に住む者は不幸です。何が起きているか、何が行われているかを知らされず、知ることできたとしてもこれに異議を唱えることができない状態にあるのです。
私たちは、常に正しい情報を得る、或は情報を取捨選択できる健全な精神を養っていくことが大切なのです。
<お知らせ>
Mark Bebbington (アーティスト, 演奏), Howard Ferguson (作曲), & 1 その他 形式: CD