金髪のジェニー フォスター(ハイフェッツ編曲)Foster "Jeanie with the Light Brown Hair"
今日は作曲者と言うよりは演奏家として知られる人物について紹介しようと思います。今日は、いわゆる古民家で演奏会をするので、昨日のうちから記事を書いておりましたが今朝パソコンを開いてみるとものの見事に消えていました。お酒を飲みながら書いていたので、おそらく作業の途中で×に触れたのではないと思います。改めて最初から初めても再現できなかったので、やりなおしています。昨日は風が強く寒かったので、嫌な予感がしていましたが演奏は何とかなりそうです。
さて、今日は金髪のジェニーの編曲をしたハイフェッツを訪ねていこうと思います。ヤッシャ・ハイフェッツ(Jascha Heifetzas、1901年2月2日 - 1987年12月10日)はリトアニア生まれの天才ヴァイオリニストで作曲もしていました。1875年生まれのクライスラーにとって1900年代のヴァイオリニストは傑出した若者が出揃った感があったと思いますが、その中でもハイフェッツは特異な存在でした。
年代は前後しますが、その兵どもは、ヘンリク・シェリング、レオニード・コーガン、アイザック・スターン、ユーディ・メニューイン、ヨーゼフ・シゲティ、ダビッド・オイストラッフ、そして話題の主ヤッシャ・ハイフェッツその人です。私は、これらの人たちが最盛期の頃に出会うことは難しかったのですが録音技術が進歩していましたから、間接的には数多く聴いています。クライスラーは、「私の究極の到達点をスタートラインにして、無限に記録を伸ばした天才」と評価したエピソードが残っています。また、ハイフェッツの時代にいたヴァイオリニスト達は、彼の神懸かり的な演奏のために非常に苦労して、例外なく「ハイフェッツ病(ハイフェッツへの劣等感)」にかかったとイツァーク・パールマンは語っています。
一方で、ハイフェッツは極度の完全主義者で潔癖症だったことからアスペルガー症候群ではないかとも言われていますが、早期に完成された演奏スタイルと音楽に対する哲学的造詣の深さからも、高度な精神活動を営む高知能者ギフテッドであったのではないと言われています。
私は、ユーチューブで何人かの演奏者にチャンネル登録していますが、高木さんもその一人です。彼女は、売れっ子で演奏会の数も多くその様子が飛んできます。きょうはその動画を使わせていただきますが、アメリカの作曲家フォスターの「金髪のジェニー」をシェリングが編曲したものです。特別にヴァイオリン向けに派手なことをしている訳ではないのですが味わい深いものになっています。
比較的裕福な家庭に育ったフォスターは、幼少の頃から音楽的な才能を見せていましたが、長じてはミンストレルの音楽や歌曲を多く書いていました。出版社との契約もできましたが、良い時代は長く続かず次第に生活が苦しくなります。妻や子を置いて劇団とアメリカ中を旅回りをしますが、ある時には自分の書いた楽譜とパンを交換しなければならないほどでした。彼の最後は、旅先で風邪を引き高熱で意識朦朧としたたまま洗面所に向かい、階段から足を滑らせて転倒し洗面用の陶器に頭をぶつけて亡くなります。
今でこそ良く知られる人となりましたが、当時のアメリカでわずかの人にしか記憶されなかったスティーブン・フォスターの歌曲は、妻のジェニーを想って書かれたのでしょうか。美しい女性のブロンドを思い受べずにはいられません。それを、天才と呼ばれたハイフェッツによってよりあでやかな音楽にされたことをフォスターが知ったならばどんなにか喜んだことでしょう。
※ 演奏会のご案内7 DANCIG FLUTE 4/30(日)
イツァーク・パールマン(vn) (アーティスト), サミュエル・サンダース(p) (アーティスト) 形式: CD
01. ヴィエニアフスキ:華麗なるボロネーズ 第2番 作品 21
02. ヴィエニアフスキ : オベルタス〜特徴のある2つのマズルカより 作品19-1
03. フォスター/ハイフェッツ編曲:金髪のジェニー
04. ヴユータン: アメリカの思い出(ヤンキー・ドウードルによるブルレスク風変奏曲)
05. 黒人霊歌/ハイフェッツ編曲:深い河
06. バッツイーニ:妖精の踊り
07. パラディス/ ドウシュキン編曲 シシリアンヌ
08. ストラヴィンスキ:ロシアの歌
09. ラフ:カヴァティーナ
10. チャイコフスキー/フレッシュ編曲メロディー
11. ゴドフスキー/ハイフェッツ編曲:なつかしいウイーン
12. カステルヌオーヴォ=テデスコ/ハイフェッツ編曲:タンゴ
13. ドビュッシー/ショアズネル編曲:小舟で