フルートの出番です208 カスキ「フルートとピアノのためのソナタ」 | 翡翠の千夜千曲

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             Sonate in Bb for Flute and Piano Op.51 (Heino Kaski, 1885–1957)

 

 

 

 

 

 立野泉さんがかつて1964年からフィンランドのヘルシンキに居住し、シベリウスをはじめ、メリカントマデトヤパルムグレンカスキメラルティンラウタヴァーラコッコネンノルドグレンなど、フィンランドの近現代作曲家の作品に取り組み続けています。国立シベリウス・アカデミーでピアノ科の教授も務めました。そのカスキのフルートソナタを聴きましょう。カスキの作品はピアノの曲に佳作が多いのですが、このフルートソナタは傑作と言うまでにはいたりませんが、構成のしっかりとした作品です。

 ヘイノ・ヴィルヘルム・ダニエル・カスキ(Heino Wilhelm Daniel Kaski, 1885年6月21日 ピエリスヤルヴィ - 1957年9月20日 ヘルシンキ)は、フィンランドの作曲家ででした教師、ピアニスト。
 カスキはピエリスヤルヴィでカントールの家族に生まれました。彼の父親は彼にバイオリンを教えました。カスキがヘルシンキで音楽を学ぶために中等学校を中退し、ヘルシンキカントールオルガニスト学校で学び、その後フィルハーモニー管弦楽団のオーケストラ学校に入学しました。そこで彼はバイオリンの演奏を続けましたが、理論と作曲の指導も受けました。
 1911年、ジャン・シベリウスの推薦により、カスキは助成金を受け取り、ポール・ジュオンの下でベルリンで4年間勉強することができました。彼の作品の1つである交響曲ロ短調は、セリム・パームグレンの部分的な指導の下で1914年から1919年に作曲され、1919年10月2日に演奏されました。同年、カスキは再びヨーロッパに行き、ベルリンでオットー・タウブマンに師事し、その後イタリアとフランスを旅して勉強を続けます。

 彼1924年にフィンランドに戻り、それ以来様々な学校で音楽教師として務めました。1950年にプロフィンランディアメダルを受賞しました。1957年9月20日、72歳でヘルシンキで亡くなりました。彼の死は、同じ日に91歳で亡くなったジャン・シベリウスの死によって影が薄くなりました。彼はヘルシンキのヒエタニエミ墓地に埋葬されています。

 これを機会に、北欧の作曲家の作品にも光を当ててみてください。

 

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 演奏会のご案内7 DANCIG FLUTE 4・30

 

Sonata Op. 51 By Heino Kaski
Instrument:Flute Solo
Piano Publisher:Fennica Gehrman