昔からずっと思ってたんですけど『偽善』っていう言葉の意味が真面目によくわからないんすよね。

偽善じゃない善と何が違うんでしょう。

 

一般的には人によく見られるためのうわべだけの善行とか自己満足のための行動のことを指しますよね。

自分に当てはめて考えると、僕は良い行いに対する行動理念って100%が上記のどちらかに分類されている気がするんですけどこれって偽善なんでしょうか。

 

困っている人を助けるとかゴミを拾うとか寄付だったり、たとえ裏によく見られようという損得勘定があった上の行動だったとしても何も悪く無くね?ってずっと思ってました。

 

 

というわけで少し調べてみました。

 

『裏では悪いことを行いながら人前では善をする』ことも偽善というそうですね。例として悪徳セールスマンが最初は良い顔をして人を騙す手口が語られていました。

僕の認識だとこういう詐欺とかの手口って偽善とは言わないと思ってたんですが、一つ勉強になりました。でもやっぱりこれは世間一般で言われている偽善とは違う気がするぞ。偽善じゃなくてじゃん、これは。

 

あとは、『良かれと思って行うはた迷惑な行為』も偽善に当たるとか。あー、たしかに「喜ぶと思ってやったのにー」って世話焼かれるのめちゃくちゃ嫌いです。千羽鶴とかその代表ですよね。

でもこれも一般的に言われる偽善とは少し違うような。たとえありがた迷惑でも本気で相手が喜ぶと思ってたらその気持ちは偽ではないと思うし、『正論を押し付けてあいつを困らせてやろう』という下心があったならそれは偽善じゃなくて嫌がらせだし。偽善ではなく相手の気持ちを考えられていない行動と言うべきだと思います。

 

テレビとかにありがちな弱者を利用して感動を演出する手法も偽善と言われて嫌われがちですよね。僕も苦手なので、たしかにあまりにその行為の後ろにある目的が透けて見えるものは良くない意味で偽善と言えるのかもしれません。ようやく納得する答えに出会えたかも。

 

 

 

さて、本当にふと疑問に思ったことを書いただけでオチもなければ実生活でそんなことを言われたとかもないのでどう落としていいのか困りました。

テニス見ててラケット折るのはアリかナシかを考えていたら頭の中でいつの間にか偽善ってなんだろうってところに行きついていたので、なんやねん今日のブログって感じですが、せっかくここまで書いたのでアップしちゃいます。本当になんの主義主張もないのに重苦しい感じの話題でごめんちゃい。

ちなみにラケットを折るのは絶対にナシ派です。この話題はまた今度。