親子レッスンだってさ4 | あらい太朗(郎でも可)は大丈夫か

あらい太朗(郎でも可)は大丈夫か

あらい太朗(郎でも可)のブログ。冬に死なないキリギリスを目指す筆者の暮らしを綴る。

今日のレッスンの中で先生が、
「芝居っていうのは感情を動かす仕事です」
とおっしゃったのが印象的だった。

役者が自らの感情を動かす仕事でもあるだろうし、
同時に、観客の感情も動かす仕事でもあるでしょう。

先生のお話に続いて滑舌のレッスン。
あいうえおいうえおあうえおあいえおあいうおあいうえ。
みんな一生懸命唱えてた。
うちの息子の滑舌の悪さはピカイチで、それで先生から、
「バラエティー向きだね」
と言われた。笑う息子。息子よ、喜ぶとこじゃないぞ!
しかしレッスンの空気はお陰で明るくなったなー。

ボクは吹奏楽、漫画の講師として、小、中、高、専門学校の子ども達を見ているが、総じて近頃の若いモン(じじくせー)は、滑舌が悪いと思う。
悪い、というか、速い。そして、はしょる。

言葉は無常の文化だから、時代と共に移ろうものではあるが、
言葉の変化が及ぼす影響は演技の世界だけではないと思う。

ボクのジャンルで言えば、漫画にだってセリフがある。
歌にだって詞がある。リズムもテンポも言葉と無縁でない。
吹奏楽にもリズム、テンポ、あ、それからタンギングも滑舌のうちだ。

言葉に関わるあらゆるジャンルが、この先どんどん変わっていくんだろうな。
年のせいか、言葉の変化を「乱れ」と感じてしまう事が多くなった。
きれいな言葉遣いの人や、日本語を大切にしてる歌手やなんかにとても惹かれる。
小学校からの英語教育も大事だけれど、日本語ももっとしっかり教えてほしいな。

閑話休題。

後半は実技のレッスン。
プリント2枚の台本。
肝だめし大会で、おどかす側になったAとB。物陰に隠れてるうちに自分たちが怖くなってしまうっていうシチュエーション。

うちの娘。
まだレッスン始めて間もないんだけど、なんか一生懸命やってたなー。
やり終わったあと、ボクをちらっと見る。
そこで小さくうなづいてやると照れくさそうに目をそらす。
日頃あんまりね、ボクは「親と子」って意識して子どもとつき合ってないんですが、こんな時は、なんか親子を感じちゃったりしますなー。

うちの息子。
これがまた素っ頓狂な演技で(笑)。
やってる最中、よく白目をむく(笑)。
それから右手がよく動く。
これはですね、ボクがたまに息子を叱った時に出る息子のリアクションなんです。
赤ちゃんの時からそうだった。息子がいっぱいいっぱいの時のクセなんだろうな。
先生にもウケたけど、いろんな意味で、一番ボクがウケた。
夢中なのが伝わって、少し感動もしたな。

それから。
ひとりひとりやらされる時、演じてる子ども達よりも、順番を待つ子ども達の方がいい顔をしてる事に気づいた。
前の子の演技を見つめる目。
別の子への先生のアドバイスを自分の番で生かそうとしてる目。
貪欲というよりは不安に近いその表情は、演技のときのそれよりずっといい。
その時はみんな、演じていないからなんだよね。

「よい演技とは、演じないこと。自分はそれを目指してる」という様な事を、テレビで緒形拳が言ってたのを思い出した。

それから、親達の表情も面白かった。
我が子の演技を心配そうに見る親、休み時間に演技指導する親、先生の話を自分が受講している様に聞く親…。
自分も含め、子どもを見つめる親の表情も、演技のとてもよいお手本です。

まとめ。
「感情を動かす」こと、ひいては「感情を伝える」ことっていうのは、とても難しい。それが出来ちゃう子どもってのは、凄いを超えて、ボクにはちょっと恐ろしい。

でもね、「伝える」ことこそ「アート」の本懐。
うちの子達にそれを「伝える」ことが出来たら、それはボクの本懐。
彼らもいつか「伝える」ことを仕事に選ぶ日が来るのかな。
そうしてボクに「お父さん、それは違うよ」なんて、イッチョマエの議論を挑んできたりするのかな。
今のうち、己を磨いとかないと…(;´▽`A``

帰り道、息子と娘に「レッスンは楽しいか?」と尋ねたら、
二人とも「楽しい」と答えた。

ま、ひとまずそれで良しとしようか。
「アート」の基本は「楽しい」だからね。

今日は君達の「楽しい」を見させてもらって、
お父さんも「楽しい」一日だったよ。