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さ。話は術後退院して、抜糸が済んだところ。

ここから週2回のリハビリがルーティンとなり、

 

それと並行して、取り壊しの決まった実家の片付けの指令に取り組みます。

 

この実家の片付け、術後2週間に満たない体がこの作業をし始めたことは『とても良くなかった』のひと言に尽きます。

 

片付け要請が入った時に『無理無理』と断ることができればそれがベストだったと思います。

 

でも・・・

ここからはホントの身の上話になってしまうのですが・・・お許しください。

 

2年前の6月に私の夫が腱板断裂で手術をした時、当初1ヶ月と言われていた入院を、本人の希望で20日足らずで退院しました。

夫が家に帰ってきて私はホッとしました。が、バタバタは続き気ぜわしくしていたさなか。夫の退院から1週間後の夜更けに、跡取りではないもうひとりの兄から電話がかかってきて『お父ちゃんが心肺停止で運ばれた』との連絡。

 

結局父は亡くなったのですが・・・

息を引き取る直前まで父はいつも通りの日常を送っていての急逝。誰もが『大往生』と口にしました。(あまりにもぽっくり逝ったので、何か父の遺品を祀って『これを信仰するとぽっくりいける』という宗教を立ち上げようって提案しましたが今のところ誰も取り合ってくれませんね。いい話だと思うのですが😜)

 

私はべつに父と仲が良かったわけではなかったのですが、自分の家庭内のドタバタで精神的に余裕のない中という状況に加えて、その数年の父の加齢による様子の変化に、『この頑固な父をどうやって介護へと懐柔しようか』なんて自分なりに真面目に企んでいたこともあって、父の突然の逝去が私に与えたダメージは想定外に大きいものでした。

 

さらには、父の逝去から8ヶ月後となる昨年の3月に、同居の夫の父が逝去。この時は医療に対しての不信感が募る状況もあったりして、実の父とは異なる悲しさに打ちのめされました。

 

1年に満たない期間の中で、実家と婚家のそれぞれの「父」を見送ることになったわけですが、仕事関係では、葬儀の日程などが仕事とかぶらなかったこともあって、ごく限られた人にしかそれらのことは伝えずに平常を貫いて、日々を送ってきました。が、それが良くなかったのかもしれません。なんかずるずると、感情を引きずってしまいました。心の中のどこかの一部がいつも疲れ果てていた感じです。

 

だからね、肩を怪我して手術をするのがお盆の頃って決まった時、もしかしたら全身麻酔で眠ったら、この世とあの世の間で、父とか義父に会えたりできるかな、なんて、けっこう本気で期待してたんですよね。当然それはありませんでしたが(笑)

 

そういう背景があったりもしたので、術後の療養休暇と称して数ヶ月仕事から離れられることにすごくホッとしたっていうのがありました。心の療養休暇でもありました。

 

その休暇中に実家の取り壊しの話が進んで、その片付けに取り組めることは、私にとっては、消化できなかった感情を整理する良い機会になりました。

 

という身の上話でございます。

付き合わせてしまってすみません。

 

そんなこんなで8月の下旬に取り組み始めた実家の片付けは、かなり手強いものがありました。

戦場 この画の中に猫がいます

 

途中に中だるみもあったりして、10月のはじめにやっとけりを着けることができました。

上の写真とは別の部屋ですが、

すっきりさせて実家を見送ることができました

 

リハビリで『実家の片付けがようよく終わりました』と報告をした時に、理学療法士の先生がなんとなくホッとしてくれたように感じました。

 

そこで私はようやく、自分の回復状況が良くないことをはっきり自覚するのでありました。

 

ま、そりゃそうだなと納得もでき。

 

その頃術後約2ヶ月。

術後3ヶ月の診察に向けて、大きくモチベーションを携えることになります。

 

最後までお読みいただきありがとうございました😌