失うを感じたとき、
有った有り難さ尊さを最大に感じる。
末娘がオーストラリアに旅立った、
もと空港までみおくる事は出来なかった。
前回は行けたのに、
前回は飛び立つ飛行機を涙で見送れたのに。
もう歩けなかった。
駅からの高速バスまで。
一緒によく動物園や森へ行ってくれた娘だった。
空港まで行きたかった、
駅まで送るしか出来なかった、
通学の時、駅までよく送ったのを思い出した、
部活の試合で送ったのを思い出した。
もおこれが最後かもしれない、
もう出来ないかもしれない、
寂しさと哀しみを超えた感情が爆破した。
次の時は立っていられるのか、
まだ生きていられるのか、
感情が脳の支配を超えた。
脳は言った、
すぐ帰ってくるよ、
すぐ来るよ、
次は元気になってるよ、
溢れ出る後悔と喪失感は全てを無にした。
私が父として娘にしてあげた事はなんだったのか、
物質的なものは何も浮かばない、
何だったのかわからない。
ただ生きていただけ。
家に一人帰り、
娘が居なくなった部屋に行っては泣いた、
一日中泣いた、
後悔と罪悪感、
喪失感
間から見える娘をみて、
また泣いた。
自分の罪悪感や悲しみをこんなに感じた事は無かった、
すざましい程の衝撃、
それを感じさせてくれた、
出来ない自分、
出来ている自分、
それは問題ではない。
ただ自分の感情に触れられた、
それば一番素晴らしかった。
喪失感とは、
恒久的に失ったと感じること。
感情を否定せず触れること。
流さないで、
ごまかさないで、
その瞬間の感情を感じられた。
純粋に感じられた。
ありがとう。