日々是好日
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三陸 1015日

陸前高田市のライブカメラ。

災害公営住宅の建築現場を定点観測しています。なぜ?

血税によって建築されるから、しっかり監視しろっていうのかな?

http://www7.ocn.ne.jp/~simowano/CameraFlam.html


大船渡市のライブカメラ。

三陸の海に癒やされたい方たはどぞー。

湾の入り口に堤防を作っている最中なので、これもある意味工事現場の定点観測。

http://www.tohkaishimpo.com/live.html


大船渡駅前にもライブカメラがあったんだけど、今は稼働してないみたい。

そのサイトにあった静止画のまとめ。2011/07~2013/05まで。

http://ofunato.net/teiten/

片付いたところから電柱が立ち始めたんですけど、街中電柱だらけです。

震災前はこんなにいっぱいあったかな...?

三陸 1014日

雪とか路面凍結とか朝の車のウインドウが凍ってて前が見えないとかが普通になってきました。
いろんな地域から働きに来ている復旧作業関係の人たちの車はいまだにノーマルタイヤ。
スタッドレス持ってないんでしょうね。
雪の少ない三陸南部地域でも、さすがに凍結もするしたまには雪も積もるしのだけど。
今年は事故が多そうな予感。

先日、大船渡市が津波ハザードマップを公開。ピンクの部分が津波進水地域。
うちの実家も工場もバッチリ入ってます。
そこは危険地域なので、もう何も作るな生活するなというのが学習というものなんでしょうけど、
相変わらずそこにいろんなものを作ってます。



平なところがないのでしかたがないのか。山を削るにもお金もかかるし。個人所有だっりするので権利関係とかわかんないし。
まー作るのはいいとして、避難経路とか、高台に向かう道とかまったく整備される話もなければ予定もないのはなぜ?需要ないんですかね?
実家の周辺1km以内に海岸部から高台に向かう道は2本だけ。工場周辺1km以内にあるのも2本。一番人がいそうな魚市場周辺は1本だけ。偉い人達が計画作っているのだからいいんだろうなー、それで。

タイではこういう看板があったけど、こんな看板もない。みんな車で歩いてる人あんまりいないし。車で見るのはあったな。こういうのは地域を知らない観光客向けなのかな?




とまぁ、震災を伝えるとか、風化させないとか言われてるけど、一番忘れてそうなのは、ここで暮らす僕らかもね。

大船渡 1000日

2011年3月11日 東日本大震災 津波により実家が被災。経営していた工場消滅。

午後3時10分 1度だけ兄からメールがくる。「こっちは大丈夫」その15分後くらいに津波。

震災後2日  消防署にあった緊急災害電話に2時間並んだ兄から連絡。全員無事。

震災後30日  被害をまぬがれた家の2階で家族が生活開始。家電とか流されたので買って送る。他になにが必要?ガソリンといわれる。

震災後40日  東北地方で中古車市場高騰。どんな車にもバカみたいな値段がつく。安く軽トラックを探してと頼まれる。結局、引き取りに行ったのは軽井沢。
      
震災後50日  家も落ち着いてきたので大船渡に帰る。東京からバスを乗り継ぎ12時間。瓦礫の山の街。ブルーシートで穴を塞いだ家。呆然とするだけ。
      
震災後110日  無関係な人達にはそろそろ原発も震災も笑いのネタになったりしてきた。目の当たりにした現状が頭から離れず、ここでこのまま暮らすのは無理だと思った。退職。当面は街のためのボランティア活動だけしていこうと帰郷。

震災後270日 瓦礫も撤去されて街は広大な更地になってきた。仮設店舗の商店街や飲み屋街ができた。少しづつだけどいろんなことが動き出してきた。ローソンとツタヤの看板に明かりがついたとき、身の回りに少し普通が戻ってきたと思った。

震災後330日  仮設店舗により家業再開。あまりにも狭いのでほぼ事務機能だけ復活。

震災後365日 1年目。

震災後450日  仮設工場一部完成。駅前(だったところ)にスーパーができた。近くなってうれしい。
       
震災後480日  家業を手伝うことに。

震災後600日  なんか街っぽくなってきたけどここから停滞。というかこの先どういう街作りをするのか謎、というくらいになってきた。

震災後730日  2年目。

震災後830日  被災地の人口増加に一役買う。めちゃくちゃドタバタする。

震災後960日  被災地に一世帯増やすことに貢献する。入籍しますた。

震災後990日  街中心部のかさ上げ工事開始。海抜5mにする予定。

震災後1000日 ←いまここ

震災後1050日 被災地に新たな命が誕生。

震災後1095日 3年目。

震災後1125日 サッカーワールドカップ ブラジル大会

震災後1600日 オリンピック リオデジャネイロ大会

震災後2800日 俺、半世紀生きた(予定)

震災後3000日 オリンピック 東京大会

いろいろあったなー。特に今年。
仮設住宅に住む人達の引越し先もまだできない。
街のかさ上げ工事に伴い、仮設店舗も移転決定。でも一部の人は移転先が決まらず。
相変わらず復旧工事関係は人手不足。再開した会社関係も人手不足。たまりかねて時給1000円という地方ではありえない金額を提示しても応募無し。パチンコ屋の駐車場は平日の昼からいっぱい。もう義援金も失業手当も支給されてないはずなのだが?

何十年、何百年とかけて作ってきた生活の場を、津波がぶち壊すのはほんの数十分。
1000日かけてできたのは、こんなにできた、なのか、こんなもんなの?なのか。
1000日かけてもなんにもできてないところもいっぱい。
行政がどうしたいのかさっぱりわからず、1000日たっても不安だらけ。
でも、この1000日の間に出会った人達が、きっとずっと一緒に見ていてくれるはず。
2000日後も10000日後も、この先時間はまだまだ続くので焦らずいきましょう!


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