恥ずかしい歴史も記憶にとどめる必要がある! | タロウのブログ

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大韓帝国は1910年8月29日に日本に併合され、国を奪われた。これを「庚戌国恥」という。「庚戌年に国を奪われる屈辱を受けた」という意味だ。500年以上にわたり続いた国は滅亡したが、その原因を究明したり、反省したりすることには疎かった。大韓帝国が滅亡した時、中国では「朝鮮亡国史」「朝鮮亡国惨事」「朝鮮滅亡惨事」をはじめ30種以上の本や、「朝鮮滅亡の原因」など数多くの文章が世に出た。しかし、当事者である韓国人はその原因をきちんと究明したり、反省したりせずに過ごしている。大韓帝国の滅亡を取り上げた著書や記事を見つけるのが困難なことが、それを物語っている。
500年という歴史を持つ国が滅びた原因は一つや二つではない。最大の原因は日本による侵略だろうが、根本的な原因もあった。もともと伊藤博文が作成してきた「乙巳条約(第二次日韓協約)」は4カ条だけだった。条約案を受け取ると高宗は大臣たちに押し付け、大臣たちは皇室の安寧を保障する条項を入れ込もうとした。伊藤博文はその場で第5条に「日本国政府は韓国皇室の安寧と尊厳の維持を保証する」と書き加えた。主権を奪われても皇室さえ守れればいいという考えだったのだ。「韓国併合条約」も同じだ。8カ条の第1条と第2条は「韓国皇帝は韓国の統治権を譲与する」「日本皇帝は譲与を受諾する」という内容で、第8条は「公布の日より施行される」という条項だ。あとの5カ条は「日本は何々をしてやる」という内容だ。つまり、皇帝・上皇・皇太子をはじめとする皇室と皇族、そして功績がある者などにその職位に合う待遇・歳費・恩賜金を支給するなどと約束したものだ。
日本は約束を守った。純宗皇帝は王に、高宗は李太王になり、皇室をはじめ前職・現職の大臣たち76人に爵位を授与し、恩賜金も支給した。このうち二人は爵位を断り、6人は後に返した。だが、残りの人々は貴族として暮らした。
また、国が滅びる三日前の1910年8月26日、純宗皇帝は李完用(イ・ヨンワン)と宮内府大臣ミン・ビョンソクに大韓帝国最高勲章である金尺大綬章を、朴斉純(パク・チェスン)らには、梨花大綬章を授与した。また、純貞孝皇后は皇室と親族、李完用の夫人ら約40人に瑞鳳章を授与した。