昭和五十八年六月にルーマニアを訪問した池田氏は、六月八日、大統領官邸でチャウシェスク大統領と五十分にわたって会談した。その際、池田氏はチャウシェスク大統領を次のように賛嘆、「固い握手」を交わしたのだった。
「大統領は愛国主義者であり、平和主義者であり、民族主義者であることがよく、理解できました」(「聖教新聞」昭和五十八年六月十日付)「今後も世界の指導者としてのご活躍とご健勝を祈ります」(同)
また大統領との会談に先立つ七日には、首都ブカレストにあるブカレスト大学で「文明の十字路に立って」との講演を行ったが、その講演を池田氏は次のような言葉で締めくくっている。
「ルーマニア建国の指導者、世界平和に尽力され、ご努力してくださっているチャウシェスク大統領に心より、感謝の意を表し、私の講演を終わりたい」(「聖教新聞」同六月九日付)
またこれに先立つ昭和五十年三月二十五日、池田氏は聖教新聞社において駐日ルーマニア大使のニコラエ・フィナンツー氏と会談したが、その記録文書にも、チャウシェスク大統領を礼賛する池田氏の発言が数多く記載されている。
「(チャウシェスク)大統領は若く、偉大なる指導者であり、独自の哲学をもち、また魅力をもった方であると認識しています。
私はその大統領に将来見習っていかなくてはならないこともよく知悉しているつもりである」
「大統領のような聡明な指導者をもったお国は幸せであると申し上げたい。もはや大国の指導者はみんな年輩者ばかりです。しかしお国は若い」
「私の直観ではお国、今の閣下のあとの代になっても、次の後継者はスムーズにいくように思います」
「(大使が『私の大統領はよく働きます。能率的に自分の国のためばかりではなく、世界中の人々のために働きます。大統領は物の考え方が希望的であるという面では極めて若いと思います』と述べたのに対し)すばらしいことです。それが指導者の条件の一つです。そこに必ず次の民衆はついていくでしょう」
しかし、「聡明な指導者」であるチャウシェスク大統領に「必ず民衆はついていく」との池田氏のご託宣とは裏腹に、チャウシェスクは独裁政治に対する民衆の義憤と憎悪の銃弾を浴びて、平成元年十二月、打倒された。