パナマの麻薬王ノリエガ将軍と池田大作の友情 | タロウのブログ

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池田さんが ブラジルにに入れないときに
入れるようにしてくれたのが ノリエガです。
そんな「恩」があったんですよ
ここ重要
池田大作のパナマ訪問は1974年、81年、87年の3回に及んでいるが、実は池田はノリエガに大きな「借り」を作ったのは、1974年にブラジル・サンパウロ市で開かれた第3回世界平和文化祭に出席するため、米国経由でブラジル入りしようとしたときのことである。
既に述べたように、日本で言論出版妨害事件を起こす前から、ブラジルでは「創価学会はファッショ団体」とみなされ、池田大作を危険視していたため、このときはビザ発給を拒否され、立ち往生する羽目になった。そこで、困り果てた池田大作に救いの手を差し延べたのが、当時はまだパナマの一政府高官にすぎなかったノリエガ将軍だった。それで、池田は「パナマ政府招待」の装いをこらすことで、何とか無事ブラジルに入国することができたのである。池田さんはビザがとれなかったんです。
ここに「友情」が生まれたわけです。
池田大作とノリエガとの緊密なつながりは、もちろん、「パルボア勲章」や「ノリエガ庭園」といった表面的な(もしくは偽善的な)友好関係でとどまっているものではない。当然、生臭いカネのやりとりも出てくる。
ニューヨーク市立大学教授の霍見芳浩は『アメリカ殺しの超発想』(徳間書店、1994年)の中で、「CIAに近いアメリカ人から聞いた話」として、創価学会の資金がパナマでノリエガの麻薬取引の資金繰りに使われていたことを、次のように明らかにしている。
〈ノリエガ将軍は、ブッシュ氏がCIA長官時代には、その手先となって、キューバのカストロ首相やニカラグアなどの中米の革命グループの攪乱に協力した。そして、その代償として、パナマを中継地として、時にはCIAの輸送機も使ってアメリカに南米コロンビア産のコカインを輸出(?)する暴挙を大目に見てもらっていた。このためにブッシュ氏の弱みを握ったとして、ノリエガ将軍は、ブッシュ氏が大統領となったアメリカを、好きなように操れると過信していた。
しかし、こんなノリエガを放置しておいたら、自分の政治生命が危ないと知って、ブッシュ大統領は89年就任早々に、米軍による電撃的なパナマ侵攻をやって、ノリエガ将軍を「戦犯」として捕えた。