『勝者の裁き』であった東京裁判においては、戦勝国の戦争犯罪は基本的に追及されることはありませんでした。
ところが、法廷で、広島・長崎に原爆を投下したアメリカの戦争責任が追及されるという事態が起こったのです。
それも日本人によってではなく、原爆投下国であるアメリカの弁護士によってです。
そのアメリカの弁護士はベン・ブルース・ブレークニーといいます。
東京裁判でイギリスやアメリカの法律や英語に不慣れな日本人弁護士たちを補佐する為アメリカ人弁護士達が、日本人被告の弁護に当たりました。
その一人であるブレークニーは1947年(昭和22年)3月3日、「原子爆弾という国際法で禁止されている残虐な武器を使用して多数の一般市民を殺した連合国側が、捕虜虐待について日本の責任を問う資格があるのか」とただしたのです。
連合国側は慌てました。