これは、約1年前に書き始めて途中で下書き保存し、その後日々のあれやこれやに巻き込まれていってそのまま放棄されてしまった文である。


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齢40も過ぎたこの身に、初めてのことというのはどれくらいあるのだろう、と思う。


3歳の息子は言う。グミを食べてみたい。飴ってどんな味なの? 魚釣りをしたい。


身の回りのほとんどのことが未体験で、いろんなことに興味があって、毎日新鮮なことだらけ。その感覚って、とても愛おしいことだと思う。


世の中は、知らないことだらけだ。知ったような気になってスカして日々を過ごしているけど

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ここで止まっていた。


今読み返してみると、何だかとても重要なことがこれから綴られて行きそうな書き出しだ。我ながら、何か愛おしくて大切なことを書き残そうとしていたのだな、と思い返してみるのだけど、さすがにこれほど時間が経つとこの文の主旨は何だったのか、よく思い出せない。


当時は8年間続いたマーケティング職から営業職に異動したばかりで、不慣れな中やってもやってもやってもやっても一向に片付かない業務に心身ともにすり減りきっており、一方で3歳になった息子は心身ともに活発で日々の経験に目を輝かせて毎日を過ごしていて、そんな息子を見ながら「同じ『初めて』でこうも違うものか」と必要以上に感傷的……というかもはや感情的になっていたのだろう。


それから1年以上が過ぎ、ふと久しぶりにアメブロにログインしてみたら、上記の書きかけの文章を見つけたわけだ。相変わらず仕事は豪雨のように降り続け、2年目の余裕など微塵も感じさせない状況なのだが、さすがに打たれ慣れてきたのか、心身のすり減り方は以前ほどではなくなってきた。


4歳になった息子は息子で彼なりの思考に基づいた発言や行動をきっぱりと見せるようになり、不意にこちらが驚くような理詰めの見解を述べてみたり、親からの影響などまったくないはずなのに突如サッカーを習い始めたりと、ここへきてまた成長も著しい。


まあ楽しくやろうぜ、と、息子が生まれたときに私は彼にそう言った。面と向かって声に出して言ったわけではないけれど、そんな感じでいこうぜ、と彼と自分に今後の大まかな方針を定めたのだ。


彼も、そして結局のところは相変わらず私も、毎日が新しいことばかりで疲れて早々に眠ってしまったりしているわけだけど、私はともかく彼が、要するに君がそうやって目を輝かせていろいろと吸収して成長して、それを私に教えてくれたりしていたら、それでまあ日々は楽しいじゃないか、と思ったのだ。よかったよかった。当初の方針をこのまま継続だ。


……結局はやっぱり疲れてちょっと感傷的なんだな。

藤井フミヤのツアー「Special Love Song」の人見記念講堂公演に行ってきた。


まあここのところフミヤのライブにはよく行っているのだけど、声出しOKなのは久しぶり。当然盛り上がる。


今回のツアーのコンセプトなのかは分からないけれど、ライブは客電がついたまま、ボリュームの上がったBGMとともにバンドメンバーとフミヤが登場し、おもむろに始まった。そのまま一曲歌いきり、次の曲のイントロで暗転。なかなか面白い演出だな、と思う。


今回のライブは照明が面白い箇所が他にも随所にあり、特にステージの演者にスポットが当たると宙に浮いているように見えたのは、まあ演出ではなくてたまたまだったのかもしれないけれど、幻想的でよろしかった。


しかしまあ「Special Love Song」と銘打つだけあって、濃厚なライブであった。何だかやけに歌いまくるな、本編長めだな、とふと思って時計を見ると、開演から2時間が経とうとしていた。ほぼぶっ通しでこれだけの時間、しかも熱のこもった歌を歌い続けるのは、なかなか消耗の激しいステージだろう、と想像する。聴いているこっちだって、バラードコーナーでは座っているとはいえ、なかなかに気力と体力を使うぞ。


改めて考えるとフミヤの曲はラブソングが大変多いので、今さらツアーのタイトルに掲げなくても、と思ったりもしたが、どっこいラブソングといっても本当に多種多様で、初々しい恋の歌もあればスパイシーな大人の歌もあり、性別や年齢を超えた壮大な歌もある。これらのバラエティ豊かな曲たちをそれぞれの世界観に誘なう表現力で歌い上げるフミヤは、やっぱり素晴らしいシンガーだな、と思う。素晴らしさを表すこちらの文章力が追いつかぬよ。


歌を聴きながら、いろいろなことを考え、思い出す。家族のことや、友人たち。フミヤがソロになってからでも30年になるわけだから、その間彼の歌を聴き続けてきた我々にも、曲と紐づいたさまざまな記憶や感情がある。こうやって聴いていると、もう長いこと忘れていた人たちの顔ですら、ふっと思い浮かぶから不思議だ。まあその顔は高校生のままだったりするわけですが。


思えば最近は仕事や子育てに追われて、じっくりと音楽だけを聴く時間なんてなかなか取らなくなってしまった。ライブだけが、唯一のそんな時間なのかもしれない。だから最近、ライブ中に思いっきり感情移入しちゃって、ぽろぽろ泣いたらするんだなきっと。それもある意味、歳を取るということなのかもしれませんね。


当のフミヤ氏は還暦を迎えられたわけだけど、今回のライブを観ていても、まだまだそのステージを見せ続けてくれそうで、ご本人もそのつもりかどんどんツアーの日程も発表されていて、ファンとしては嬉しい限り。次のライブも楽しみなのだ。



最近行ったライブのことを。


【The Last Rockstars】

デビューライブの2本目を観に行った。


高いチケット代、本当に完走できるのかも分からない日程、リリースされているのは一曲のみ……。どうなることやらと思いながらも、こういうのがこれはこれで楽しいんだよな、などと思ったり、まあ彼らの今後の活動のためのお布施だとか、何だかんだですごいメンバーなんだから見ておくべきだとか、1人で勝手に言い訳をごちゃごちゃと並べながら、いそいそと会場に向かったのだった。


到着して改めて感じたのは、この得体の知れないバンドに対して、よくもまあこれだけの人が集まるものよのう……という、分かってはいたけど意外、のようなフクザツな感慨だった。チケット代も高いけれど、もうみんな大人だからね。みんな、見届けに来たんだなあ、と。


本番は、しっかり30分押しで始まった。いや、始まって良かった(笑)。私はといえば、ナイターでも観てんのかくらいのテンションで、終始わりと冷静に彼らのステージを観ていたのだった。


もちろん、ショーとしてのクオリティは高い。それはそうだ、第一線のミュージシャンが揃っているのだから。ただ正直なところ、音楽的な部分で、魂を揺さぶられたり心臓を鷲掴みにされたり否応なしにテンションが上がったり止めどなく涙が溢れ出たりしたかと言われると、私としてはその限りではなかった。ただ、そこに対しては別に不満があるわけではなく、見ておくべきものを見ることができた、という事実があるだけなのであった。何を言っているのだおれは。


周りの席では、やべえまじでかっこいい、やっぱりこれだよねえ、などと賞賛する声が上がっており、うんうんそうかそうか、それなら良かった……と勝手に目を細める変なおじさんと化していたのでした。何しに行ったんですかね。


決してネガティブな印象を受けたわけでもなく、ただ冷静に、その盛大な祭りのひとときを見届けてきたのだった。



【元ちとせ】

デビュー20周年の締めくくり、EX theater六本木での公演。


開演前にビールを飲み、心地よい酔い加減で歌を聴くの時間は至福だ。さすがにメモリアル公演だけあって、選曲にも胸が熱くなる。


彼女の歌で私が最も好きな「いつか風になる日」が序盤に披露され、早くも感情直結型全身聴覚人間と化した私は、その後「あなたがここにいてほしい」で脆くもその涙腺が決壊する。


それにしてもこういった20代の頃に聴き込んでいた曲たちを、20年の時を経た表現で歌う彼女と、今の感度で聴く私。まあそういう人たちが会場には集まっていたわけだけど、当時の自分には感じ得なかった歌詞や歌そのものの表現が、今になって響いたり、昔とは違って聴こえたりするものなのだなあ、そうやって時の流れを実感することもあるのだなあ、と思った次第。


そして、この日もう一つ改めて思ったのが、先述の「いつか風になる日」の作曲もした、岡本定義氏のセンスの素晴らしさだった。いやこれも以前から気になっていて、氏の在籍するCOILの音楽はいつか聴いてみようと思っていたのだが、思っているだけでなかなか聴かないままだったのだ。


この日、ゲストの1人として登場した彼は、ああこの人だからこそこんな曲が生まれるのだなあと思わせる、穏やかな人柄が一目で分かる素敵なアーティストだった。ステージ上での元ちとせとのMCで初めて知ったのだが、私が涙した「あなたがここにいてほしい」も、図らずも彼の作曲であった。さもありなん。


しかし、こうして20年、30年と聴き続けている音楽は少なからずあるけれど、聴こえ方や感じ方が変わっていくということを認識したのは初めてであった。といっても、まだ20年。まだまだこれからも彼女の歌声をたくさん聴きたいものだ。