父。 | たそまらのんな~猫たちとの日々

たそまらのんな~猫たちとの日々

縁あって出会った猫たちとの毎日を、気の向いた時に綴ります。 
時々2022年に子宮頸がんにより30代で旅立った最愛の娘へのメッセージも…
2024年5月16日次男猫ソラが虹の橋へ

1985年3月15日

父は57歳で亡くなりました。
腰にできた骨肉腫から脳腫瘍になり、病気がわかってから医師の宣告通り半年後天国に…

初孫である私の息子が可愛くて、慣れない東京都内の道路を運転し埼玉から頻繁に母と会いにきてくれた父。

亡くなる1年前に息子が生まれた時、父はぽつりと「この子が歩くまで生きてられるかな…」とつぶやきました。
私は「何言ってるの、1年後には歩くのよ!生きてるに決まってるじゃないの〜」
なんて会話をしたんですが…

まさか

本当に歩く姿が見られないとは…

左官職人だった父は長いこと腰痛に悩まされながら仕事をしていたようです。
職業病だと思っていたのでしょうね…
なので、まさか腰に骨肉腫ができていたとは思わなかったと思います。

あまりの具合の悪さに、母と兄がいやがる父を病院へ連れて行き病気がわかりました。

当時は本人に告知なんて考えられず、病名は知らせずに出来る限りの治療をしました。

主治医の了解を得て丸山ワクチンも治療に取り入れましたが、何もかもが手遅れでした。

父が亡くなる直前、1歳のお誕生日を迎える前に歩き始めた息子。
その頃には意識があまりなく、歩く姿を見せることはできませんでした。

これから親孝行がやっとできると思っていたのに残念でなりませんでした…

哀しみの中にいる私たちに、父からの贈り物のごとく私のお腹に新しい命が宿っていました…娘です。

母は「お父ちゃんの生まれ変わりだね」と言い、それはそれは嬉しそうだったのを覚えています。

今日は命日。

お父さん、今、お母さんと仲よくしていますか?

昔、猫にあげていたさばの水煮缶や、鰹のなまり節の煮物などをお酒の肴に出されよくケンカをしていましたね。
当時はキャットフードなんて知らずに、人間の物を食べさせていました…

家に寄り付くたくさんの猫たちにご飯をあげていた母をよく怒ってもいた。

しかし、母からは「お腹をすかせてかわいそうじゃないの!だったらお父ちゃんも野良になってみれば!ムキー
なんて怒られてガーン

なんとも面白い夫婦でしたよ笑い泣き

今、私が猫たちにご飯をあげている時、よく当時のことを思い出しひとりで笑ってしまいます。

お父さんは早くに天国に行きましたが、その後お母さんにはたくさんお世話になったので、さば缶のことは忘れてたくさん誉めてあげてくださいね。

いつかまた会える日まで…