初恋はフォークダンス~第1章~ -126ページ目

あれから約30年。

どーも。




いやいや。


なんか家のアルバムをあさってたら


どこぞやの坊ちゃんを発見。




坊ちゃん001

幼稚園児ですな。多分。


妙に右側にきになる「はっさく」の段ボール(笑)


さぞかしモテたろうに…



あれから(about)30年…

(きみまろ風にお願いします)



すっかり若さはなくなり


髪もつやつやストレートから天然パーマになり


あれほど嫌ってた煙草を吸うようになり


熱を出したら長引くようになり


屁理屈ばかり言うようになり


肌はピチピチではなく、しわしわになり


そのくせ痩せてたのが途轍もなく太りだしたり


結果モテなくなり…




君の将来のお方はさぞかし嘆き悲しんでいることでしょう。




(涙)






じゃあまたにゃ!

愛の配達人。~完結編

どーも。






いやー調べましたよ。


ついには地元民まで巻き込んで(汗)




で、一応わかったんで聞いた話を総合して書きます。


その上で先に言っておきたいこと。



この話「いい話」に聞こえる人と、そうでない人。



2つにきっぱり別れると思うので



想像力のない方ご遠慮ください。







では。



この話。約10年前あたりに溯ります。


この山に一人のおばあちゃんが越してきました。


その方、津田ちゑ子さんといいます。



で、このおばあちゃんは資産家らしく


この地を気に入って、思いつきざまに購入したそうです。


そして、ここに住んで


子供たちの挨拶がすごく気に入ったらしく

(うちの街は子供からの挨拶は普通)


少額の時もあれば、大金の時もある寄付を


幼稚園なり小学校なりにたびたび寄付していたんだそうな。



しかしそれだけでは心が通じないと


このおばあちゃんは器用だったので


多分




おばあちゃんの景色。2

こんな海や街を見渡しながら


人形を作ったりして、子供たちにあげていたんだとさ。




で、そのおばあちゃんも年を重ねていくにつれ


動けなくなり…


そんな時に恩返しではないが


町(当時)の職員が様子を見に来たりしていた。



そこでこのおばあちゃんは


嬉しかったんでしょうな。


町の職員に


「私が死んだらこの土地を町に全部寄付する」


と言ったそうな。



そして平成15年。


おばあちゃんは亡くなり


この土地は本当に町のものになり


そのココロをいつまでも残そうと


この土地に碑を建て


贈った人形などに愛を受け止め


「愛の配達人」


として語り継ごうとしたそうだ。




おしまい。




って聞いたが、


なぜうちの市はこのこと知らんのだ?


観光協会はこれを知らんのだ?



そこが知りたい(汗)



「愛の配達人」は知られようが知られまいが


多分何にも変わらないが


「愛の配達人」が残したこのココロは


誰もが知っていてもいいのではないだろうか。



まあ賛否両論分かれそうな気もするが…




でもきっと「愛の配達人」は


空の上から元気な子供たちを


微笑みながら今日も見ているだろう。








じゃあまたにゃ!






愛の配達人。

どーも。






この前のブログで書いた


「愛の配達人の碑」の話。




配達人、表。


コレですね。コレ。



やっぱりなんか気になって、また行ってみました。


昼間ならなんか側に書いてあるのが見えるかもと。



ところが


特に何もないんですね。


で、墓なら後ろに何かしら書いてある。


ということに気づき、


裏へ回ると…




配達人、裏。

お!なんか書いてある!


何々…



津田ちゑ子さんの遺業をたたえ


終焉の地にこの碑を建立する。


平成15年7月25日。





うーむ…


なおさら気になるこの感じ。



で、電話したさ。


市に。


そしたら市でもわからないらしく


これは当時の町長だ!


と、事務所に電話したら留守…




でももう少ししたら何かわかりそう。


続報を待たれよ!






って誰も気にしてないかな・・・(汗)











じゃあまたにゃ!