父親との会話 | 鬱で陽キャでアホなのよ!

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50代♀のウツ病日記。
パニック・解離性障害(昏迷・健忘・運動障害)・PTSDあり。

子供3人、孫1人ですが
会えません。
彼(奴)は軽い鬱&アルコール依存症
奴とのバカエピソードもアリ!笑        Byほし

ゆうべ父親から電話があり
いつものごとく、長電話。

父親はこっちから連絡をしないから時々さびしくなって
電話してくる。


いろいろと話してたら
父親が、兄貴に言われたことを未だに気にしてて
「おやじがワイになんかしてくれたことあったんか!」
って言われたことでずっとそのショックが取れないらしい。

そして、
「実際に、わしは何もしてやれんかった。
母親がいたら、お前もしょっちゅう愚痴でも言いに
帰ってくるところがあっただろうって思う」

とか言い始めたから
それは、私は帰るところはないってずっと思ってきて
父親に泣きついたら父親の負担になると思って
出産後の里帰りもしてないし
この20年近い結婚生活の中で
実家に泊まったのは3回くらいだし
車で30分の距離なのに一年に数回しか会わない。

「けど、お父さんは、普通の父親に比べて
家事から育児から、全部こなして、
普通以上に育児にかかわってくれて、
私はすごいがんばって育ててくれたとおもっとるよ」

って言ってあげた。

たぶん、母親の分まで愛情を注いでくれて
未だにずっと心配してくれてるし
私もこの歳で、いまだに迷惑をかけてばっかりで
私は本来なら、お父さんを支える立場にならないといけない。

父親が
「何かあったときには兄貴は当てにできん。一番にお前に
助けてもらう事になると思う」

って言うから
「私はそら・・できることはするし、できんことはせんよ!」

と言っておいた。

けど、私の気持ちは伝わったと感じた。

そして、長女の話から私の将来の話になり
私は何でもいいから、お金にならなくても
人の役に立てるような、ちょっとでも福祉にかかわっていけるような
事をやっていきたいと言うと

父親は

「それはいい事と思う。自分が経験して辛かったぶん
人の痛みもわかってあげられるし、
お前は少しでもいいから、給料とかにこだわらず
ボランティアでもいい。とにかく自分の経験を元に
人のために尽くしていくことは、自分も成長できていい事と思う。
病院でふさぎこんでる人の話し相手になってあげるだけでもいいし、
鬱病になったお前にしかできんことがあると思う。
お金のためでなく、自分が誰かの役に立ちたいという思いで
そういうことを目指すのは大賛成する」

と言ってくれた。

ゆかぷぅがカウンセラーの資格を取って
別の仕事しながら、自分が苦しかったぶん、人の役に立ちたいと
カウンセラーとして活動を始めたと言うと
ずいぶん感心して
そういう子みたいに、稼ぎが目的じゃなく、人の役に立ちたいって思いで
カウンセリングするような友達だったらお前もいい影響を受けるだろうし
一緒にやれることがあったらしていったらいいと
言ってくれた。

若い子がただ漠然と資格を持ちたくて
カウンセラーになっても
所詮は勉強したことしか頭には入ってないから
そんな子からカウンセリングを受けた時
私はむなしさを感じた。

「とりあえず、今はそのことは置いておいて・・」

って、私がどんなに苦痛を訴えても
同じ返事ばかりで
なんでこんな子に一生懸命話してるのかと
くだらなく思え、それ以来カウンセリングは受けてない。

やっとこの歳になって、自分が将来やっていきたい事ってのができて、
希望も持てるようになった。

それはやっぱり、鬱病になって学んだことが大きい。

私は、どれだけ周りの人を苦しめてきたか・・
どんなに鬱病が辛い病気か・・

理解されないことの悲しさ。
突然襲ってくる恐怖感。

死への衝動。

そういうことを体験してきたことは
絶対に私にとって意味があると思う。

それを少しでも生かし
ボランティアでもいい、誰かの気持ちを和ませることができたら
と思う。

周りに助けられてきた分
世の中に恩返しするのが私の義務のような気がする。

まだ人を救えるほどには回復してないけど
やっと自分のやりたい事、
一生かけて貫きたいことってのが見えてきた。

父親からも・・

自分が世の中の役に立つと思ったら
それが生きがいになる。
給料とかどうでもいい。少しずつ外へ出て人と関わりをもって
同じように苦しんでる人がいたら
少しでも助けになってやれ。
お前はそれができると思う。
鬱病を体験して、お前にしかできんことがあると思う。

そう言ってくれた。

そんな言葉をもらえると思ってなかったので
すごく勇気が出た。

普通の家庭に育っていたら、父親とここまでの会話のできる
親子関係ができてなかったと思うし、
父親は離婚したことを私や兄貴に申し訳ないと思ってるらしいけど
「父子家庭だったからこそ、今これだけの会話ができて
結果としては私はそれでよかったって思う」
と父親に言った。

本当に生真面目で、二回とも離婚の発端は
嫁の浮気って事で、母親にしてみれば
父親が、真面目すぎて融通がきかない性格だから
その辺で息苦しさを感じていたのかもしれないけど、
私の母親は、家事が嫌いで、育児放棄気味だった。

それに比べれば、父親は母親役までこなし、
生活が苦しくても、ずっと愛情を注いでくれた。

そんな父親だから、いざとなれば
私は出来る限りの事をしてあげようと思う。