1943年、戦車駆逐大隊(戦車隊とはまた異なる)の為に開発、対戦車戦闘ではなく隠れて待ち伏せして破壊したら即座に逃げるヒットアンドラン戦法を前提に造られたので装甲は無いに等しいが軽いので当時はキャタピラ式装甲車輌としては最高速度80キロと世界一速かった。


戦後は戦車駆逐大隊と戦車隊が別組織として存在する事自体無駄とようやく気が付いて解散し、友好国に供与されたがなんと1990年代まで現役だった国があったという。

それはまず車体構成が戦時中より寧ろ戦後の戦車に似ており、戦後の戦車の基礎になった優秀性と使い勝手の良さ、世界最優秀なドイツの76mm対戦車砲と遜色が無い76mm長砲身砲等戦後の戦闘でも通用する性能を保持していた為である。


なお、武装を撤去し兵員輸送車にしたM39は自衛隊に1台参考に引き渡され戦後初の国産装甲車である60式の基礎になった。