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1960年に採用された戦後初の国産装甲車。
当時はまだ浮航性や対NBCなどが必要と認識されていなかった為、やや世界的に旧式な装甲車であった。当時はまだ道路も整備された場所が少なく、出来る限りコンパクトに纏められた為、車内も狭かった。しかも、正式化当時はライフルが国産のが無く、米軍供与のM1ガーラントのラックしか装備されていなかった。

1980年代に前面7.62mm機銃がベテランのM1919機銃から国産の74式機銃に変更され、形状が73式装甲車と同じものとなった。

13年後にこの車両の欠点を解消した73式装甲車が登場するが、高価で台数を揃えられず、旧式にも関わらず21世紀を超えた2006年に96式装輪装甲車と交代してようやく引退した。

活躍で有名なのは1991年の長崎県島原市で発生した雲仙普賢岳噴火に伴う災害派遣で、6月3日午後四時に発生した大火砕流で犠牲になった43名の遺体回収作業、及び普賢岳監視に従事した。

★キットは今年春にリリースされたもの。永らく自衛隊の顔でありながら、60年代にモーターライズでモデル化されていただけで、現在はレジンキットがあるだけだった。内部再現は無いものの、出来は逸品でキャノピーのガラスはクリアパーツで別再現されている。エッチングパーツはオプションで、別途購入すれば一層精密なモデルを作ることができる。デカールは5種類で、そのデカールに合わせてマフラーの仕様が異なるところまで再現されている。

画像のはフィギュアは他から流用・改造、デカールも報道写真の車両に合わせ、色々な自衛隊デカールを切って合わせた。機銃は災害派遣の際は取り外してあるが、キットのキャリバー50は台座と一体なのでプラ板でそれらしく自作した。
汚しは雲仙普賢岳派遣の際を再現する為、ダークグレーをホワイトで薄めたものを使用。
リアの兵員室も開け放ち、報道写真のように再現しようと試みたが、断念。但し、後部ハッチの裏は再現されているので、やろうと思えば再現出来たかも知れない。


★雲仙普賢岳の火砕流に伴う犠牲者遺体回収と普賢岳監視業務

当時、避難勧告地域に火砕流の撮影を試みようと安全地帯と思われていた場所に火山研究家が陣取り、それを見て安心した各報道陣もそこに陣を構え、その場所は「定点」と呼ばれた。
しかし、一応避難勧告地域なので地元消防団や長崎県警機動隊が警戒。

当日、6月3日午後3時55分頃、一度目の大火砕流が発生、火砕流は定点手前の河川敷を通過し、河川敷の前に大きな丘があり、その丘の上に定点が存在し、ここまで火砕流は来ないと見込まれ、一部の報道スタッフが避難したが、殆どがその場に留まった。
近くを通過するだけと言っても近すぎて危険なので地元消防団が待機、長崎県警機動隊のパトカー1台が警告に出動。

パトカーの警告に一部の報道陣が従い、撤収を始めたその1分後、最初に発生した火砕流に阻まれ見えなかった大規模な別の火砕流が発生した事に誰も気が付かず、自宅や畑が心配で帰宅していた地元住民を含む43名が火砕流に呑みこまれた。

最初の火砕流で避難した報道スタッフは巻き込まれる寸前で逃げ切ったが乗っていた車のリアガラスが割れ、車内は火山灰だらけになり、両側は道路脇の石垣等にぶつかりながら必死に逃げてきていた。

詰め所で待機していた消防団員は全身大火傷で自力で下山してきたが、まもなく全員死亡。
避難勧告を行ったパトカーも巻き込まれ、助手席の警官1名が自力脱出したが、搬送先の病院で亡くなった。

翌日、陸上自衛隊・西部方面隊・玖珠駐屯地(大分県)から派遣された75式装甲ドーザーを先頭に60式装甲車に耐火服を装備した自衛隊員が遺体回収作業に出動。
装甲車に耐火服とはいえ、火砕流に巻き込まれたら助かる保証は無いので派遣された自衛官達も不安と恐怖は隠せなかった。
現場資料用のカメラはオートフォーカスにすると、全てが灰色に染まった世界で焦点が合わず、装甲車を降りると灰が足を熱し、遺体は殆ど原型を留めない程黒焦げの上、車内の遺体はシートのバネが遺体に刺さって食い込み、回収作業がスムーズにいかず、いつ再発するか判らない火砕流に怯えながら耐火服の中は冷や汗と暑さの汗でビッショリになり、結局全ての遺体を回収しきれないまま、再び火砕流が発生し、今も行方不明者がいるという。

なお、各報道陣はこの事故で現場を恐れ、殆どを自衛隊の撮影に委ねることとなり、報道の是非が大きく議論された災害でもあった。

その後、沈静化後も定点があった地域は今も立ち入り禁止で、犠牲者が乗っていた報道車両やタクシー、パトカー、消防車は今もそのままになっている。
現場ではカメラが幾つか発掘されており、その中の1台の日本テレビのビデオカメラのビデオテープを2004年にソニーと共同で再生に成功、火砕流発生直後の貴重な映像が公開されている。