1981年に発売されたトヨタ自慢の高級2ドアクーペ。

当時のハイテクノロジーを投入し欧州の同クラス(ベンツ・BMW等)に匹敵する車種を狙った。
別車種であるが、基本的に3代目クラウン(MS50)から発売されていたクラウン・2ドアハードトップの後継。
大人の高級クーペという触れ込みだったが、当時の日本は景気が良く、設定していた「経営者層」よりも若者層に爆発的にウケた。

以後、二代目まで、10代~20代の若者に大いに支持され高い人気を誇った。
若者層に人気があったので社外メーカーからエアロパーツ等のパーツが沢山発売されていた。
スポーツカーというより、ラグジャリー・カー的な性格ではあったが、乗心地と性能の両立を図ったおかげで走りも良く、特に普及グレードにあたる2000ccモデルは、バランスが良く5速MTモデルは峠でギンギンに攻めるにも適していたという。
若者層にとっては当時、街中を流す「暴走族」と走りに拘る「走り屋」との枠が明確に分かれ始めた時期で、同時期に発売された近似車種で走行性能重視のセリカXXと人気を二分した。
☆キットは新車当時に販売されたもので、当時は「何故、最高グレードの2800GTではなく普及グレードの2000VR?」と物議を醸した。
後に最高グレードの2800GTをベースにモデファイされたキットも販売され、今度は「ノーマル車のキットばかりの硬派のタミヤが軟派な仕様で販売した!」と話題になった。

因みにこのモデルの末期の1985年に、茨城県警察と群馬県警察で当時開通したばかりの高速道路警備の為に2800GTが導入されていた。