舞台はオーストラリア・サザンクロスラリー。
その際、5台の三菱ワークスのうち、1台だけ黄色いランサーGSRが参戦した。
それが、篠塚建次郎がドライブするランサーだった。
初年は残念ながらゴール直前で、ステアリングが破損しリタイア。
1975年には、優勝者のアンドリュー・コーワンよりも速いタイムを記録し、総合4位と、日本人ドライバー史上最優秀の栄冠を獲得した。。が、その後の車検で規定に合致しない部分が発見され、失格となってしまう。
篠塚のせいではなく、メカの整備の行き違いの問題であった。
だが今後、この日本人ドライバーが、失格さえなかったら海外ラリーで1桁上位に付く可能性は十分あるとして注目され、以後の活躍はご存知の通りである。
この車両は、その時の車両である。
☆キットは1976年発売のフジミ製。最初に優勝者のアンドリュー・コーワン車が発売され、以後2番目にこのイエローランサーが発売。
他には3番目に青いラインの1976年サファリ総合6位の篠塚車、そして公道仕様と銘打って、ノーマーキングのが販売された。
だが、初期のキットはデカールではなくシールであった。画像のは当時もののシールで、経年劣化は少ないという利点はあるが。。。。。。
1990年代初頭、中盤にも再販されており入手は比較的容易。シールもデカールに直されている。