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実機は1973年に富士ベルHU-1Bの後継として生産が開始され1992年まで作られた。

富士ベルHU-1B型は民間用にB-204として発売されたが、-1H型は何故か発売されていなかった。

-1H型とは、ベトナム戦争の経験で胴体を延長した型が求められ、-1D型が開発され、それをさらにエンジンのパワーアップを行なったのが-1H型である。

ライセンス生産は日本の富士重工だけではなく、イタリアのアグスタ社でも行なわれた。

呼称は各国により若干異なり

米・ベル社・・・軍用・・・UH-1H
        民需・・・B-205

日・富士重工・・軍用のみ・・・HU-1H

伊・アグスタ社・・AB-205

塗装は、今回も片側が違うハイブリット塗装とした。

蛍光オレンジ仕様は70年代~80年代前半

蛍光オレンジの無い機体は1985年8月の日航ジャンボ機事故に出動した機体に見られた。
なお、8月14日に最初の遺体を搬送した機体は現在の迷彩塗装で、KV-107尭瑛諭塗装変更の
過渡期だったことが伺える。


キットは、1/72では最高傑作と言われるエッシー製(現在はイタレリが販売)
エッシーの特徴で、大きいスケールをそのまま縮小しているので、スケールの割に細かく良く出来ているが、部品が非常に華奢というデメリットもある。胴体もピッタリ合わないので瞬間接着剤は必需。

窓は胴体が組み終わってから付けるタイプで、これは嬉しい配慮だ。

ドアは開閉選択式。