「社会人としてしっかり成長している人」と「実力のないまま成長でいない人」何が違うのでしょうか?
まず本人に成長意欲があるかどうかということが重要だと思いますが、それ以外で重要なものは、「上司や先輩等の環境」だと考えます。
「厳しい環境で仕事をしている人」、「厳しい上司の下で仕事をしている人」はしっかりと成長しています。一方で、甘い上司の下で仕事をしている人は、成長できていないと感じます。
「褒めて伸ばす」という方法がもてはやされているようですが、現実は上手くいかないのではないでしょうか。実際には「甘やかされているだけ」の状態になっていることが多いと感じます。
甘やかされている状態が続いてしまうとそれがその人の「普通」になってしまい、成長することが出来ず、他社に転職したら「レベルの低い通用しない人」になってしまうでしょう。
厳しい指導を受け、大変な思いをしたけれど外に出たら「優秀な人材として評価される」という方が本人にとって有益なのではないでしょうか。
冷たく感じるかもしれませんが、もし、私の部下が「厳しい」ことが原因で辞める事になったとしても、それはそれで仕方ないと思っています。そもそも自身の成長よりも「楽でそこそこ稼げばいい」という人とは生き方、考え方が違うわけですから分かり合えるはずがないのです。
子育てと同じです。
自分の子供を甘やかして育てるのと、厳しく育てるのは、どっちが立派な大人に成長できるのか?
部下を褒めることは大切だと思いますが、褒めることだけでは絶対に育たないと思います。
叱るべき時に叱り、注意すべき時に注意する。我が子や部下の成長を考えれば当然ではないでしょうか。
人は、「優しい上司」と「厳しい上司」どちらかと言われれば、ほとんどが「優しい上司」を選ぶと思います。しかし、「優しい上司」だからといってその状況に甘えていると、後々困ることになります。
上司も人間、「人から嫌われたくない」という気持ちがあるはずです。「できれば厳しい事なんか言いたくない」「部下に厳しくして嫌われたくない」と思ってしまうのではないでしょうか(因みに私は思いません)。しかし、言うべきことを言わなかったら、本人の「間違い」や「考え方」は、修正されないままになってしまいます。
私もサラリーマン時代、「優しい上司」と「厳しい上司」双方がいました。今になって考えると「優しい上司」から学んだことで今思い出せることが一つもない。逆に「厳しい上司」から教わったことはたくさん頭に残っています。
振り返ってみても感謝すべきは自分を成長させてくれる「厳しい上司」なのです。
他責思考の部下には一生理解できないことだと思いますが、部下を指導する立場の人に伝えたいことは「今嫌われても将来感謝される人になれ」ということです。
子育ても社員教育も同じ、子供に嫌われたくないから甘やかす、部下に嫌われたくないから甘やかすというのは、「相手の事を考えてない」、「自分の事しか考えてない」自己中心的な行動なのです。
もちろん、気分で怒ったりというのは論外だが、𠮟るべきところを叱るというのは本人の成長を考えれば当たり前のことだと思うのです。
最近は部下に注意できない上司が増えてきました。
人は、他人から好かれたいという生き物である。皆さんもそうだと思います。人間は社会的な生き物なので、周りの人たちから疎外されては生きていけない生き物です。その「人から好かれたい」という気持ちが「優しくしよう」「注意するのをスルーしよう」という衝動となります。
私は敢えて「その衝動に反する行動をすべき」と考えます。
上司は、「部下に嫌われたくない」「優しくしたい」という衝動に反するように行動しよう。部下は、上司から優しくしてほしい、叱らないでほしいという衝動を抑えて、自分の仕事の成果を上げるために、あえて上司に「厳しさ」を求めよう。
そして、厳しい指導は、自分の成長の為と考えよう。「理屈ではわかっていても感情が付いていかない」と思うかもしれませんが、このことを理解するには一般的に上司部下のある程度の信頼関係ができる数年後になると思われます。お互いが、自分の感情や衝動を超えて、理解し合えば必ず良い関係になれるはずです。
部下の能力を最大限引き出し成長させるのは上司の仕事、上司の意図を読み最大限サポートするのが部下である自分の仕事。
会社は仲良しクラブではない。
上司と部下、和気あいあいでなく、切磋琢磨し、お互い成長し、同じ目標を達成できるようになろう。
「厳しさ」を求めよう