2023年12月08日(金) 晴
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【8.デュシャン兄弟とピュトー・グループ】
デュシャン三兄弟
三男・・・マルセル・デュシャン
画家で版画家のジャック・ヴィヨン(本名ガストン・デュシャン)と彫刻家レイモン・デュシャン=ヴィヨンの兄弟がパリ郊外のピュトーに構えたアトリエには、末弟のマルセル・デュシャンやフランティシェク・クプカ、フランシス・ピカピアといったサロン・キュビスムの芸術家たちが1911年頃から毎週日曜日に集い、彼らは「ピュトー・グループ」と呼ばれました。
彼らを中心に組織されたのが、1912年に開催されたキュビスムの大規模な展覧会「セクション・ドール(黄金分割)」でした。
その名称からも明らかなとおり、、「ピュトー・グループ」は、黄金比や非ユークリッド幾何学といった数学、四次元の概念、そして運動の生理学的分析といった科学を、ピュリスムと理論的に結び付けようとしました。
こうした理論が厳密に彼らの完成作に表されているわけではありませんが、運動のダイナミズムの表現は、彼らの作品の大きな特徴のひとつとなっています。
ヴィヨンの《行進する兵士たち(no.61)》では、いくつもの力線に還元された表現で行進という運動が表現されています。
まかクプカの《挨拶(no.63)》では、複数の時間が同一画面内に描かれることで動きが示されています。
(左から)マルセル・デュシャン、ジャック・ヴィヨン、レイモン・デュシャン=ヴィヨン、
ヴィヨンの犬パイプとともに、ピュトーのアトリエの庭にて、1910-1915年頃
ポンピドゥーセンター/カンディンスキー図書館
パイプ
62 日本初出品 フランティシェク・クプカ 《色面の構成》 1910年-1911年 ポンピドゥーセンター蔵
世紀末のプラハとウィーンで絵画を学び、象徴主義や神秘主義に影響を受けたクプカは、1896年にパリに移り、生理学や色彩論など様々な知識を吸収しながら制作を続けた。
1906年にピュトーに居を構え、「ピュトー・グループ」の集まりに参加。
連続写真や映画、X線写真といった、当時の科学が生み出した新しい資格イメージへの関心を共有しながら、とりわけ絵画における運動の表現を追求する。
本作では、女性のシルエットの動きが、帯状の色面の連なりによって表されている。
一方、《挨拶(no.63)》では、二人の人物のお辞儀をするような動きの軌跡が、鮮やかな色彩によって連続的に捉えられるとともに、クプカの具象から抽象への移行が示されている。
63 フランティシェク・クプカ 《挨拶》 1912年 ポンピドゥーセンター蔵
日本初出品 コンスタンティン・ブランクーシ 『眠れるミューズ』 1910年
1911年頃よりキュビスムの抽象化を進める立場にたったアルベール・グレーズ、フェルナン・レジェらはグループ「セクシオン・ドール」を結成して、1912年以降展覧会を展開、ロベール・ドローネーらの「オルフィスム」とともに絵画の抽象化を推し進め、幾何学的抽象の様式に至り、両大戦間にパリで結成された「アプストラクシオン=クレアシオン」に引き継がれた。
同時主義とオルフィスムのロベール・ドローネー、妻のソニア・ドローネー。
ドローネーは今回の展覧会のメンインビジュアル《パリ市》を描いた後、非形象絵画(描写対象のない抽象画)を模索し、色彩の対比のみで画面を構成する《窓》や《円形、太陽 No.2》のシリーズを展開した。
ソニア・ドローネーも「同時的対比」の原理に基礎を置き、《パル・ピュリエ》、《シベリア横断鉄道とフランスの小さなジャンヌのための散文詩》が展示されていた。
ドローネーと同じ頃に非対象絵画に向かったフランティシェク・クプカ《色面の構成》、《挨拶》もキュビスムから抽象画へと向かう。
フランティシェク・クプカ
【アーティゾン美術館の新収蔵作品】 赤い背景のエチュード 1919年頃 フランティセック・クプカ(1871-1957) 油彩・カンヴァス
『クプカは抽象絵画の創始者のひとり。
クプカの作品は、世紀初頭の革新的絵画運動との比較がしばしばなされてきた。
すなわち明るい色彩がダイナミックに展開するのはイタリアの未来派と共通するという点や、形態と色彩は青騎士の画家たちの作品と類似する点などである。
カンディンスキー同様、クプカは色彩や自然科学を学び、美学的関心に基づいて芸術の概念的基礎を追及した。
(アーティゾン美術館解説より)』
セクシオン・ドールは1913年にはアメリカに進出