2019年02月10日(日)
展示室1室から見て回ります。
長谷川等伯から北宋、南宋時代の磁器、本阿弥光悦、尾形光琳、酒井抱一の琳派作品などなど、MOA美術館はすごいもの持ってるなぁ~。
まずは長谷川等伯、「故事人物図屏風」
右隻
殷の紂王を討というとする周の武王を諌め、聞き入れられず首陽山に隠れ餓死した伯夷・叔斉。
岩の筆致が等伯だなぁ~と。
諫言より殺されそうになった伯夷・叔斉は周の軍師・太公の「彼らは義人である。」の一言でで扶けられ、その場を去った。
周の武王は殷を滅ぼし、伯夷と叔齊は周の粟を食む事を恥として周の国から離れ、首陽山に隠棲して蕨(山菜を)食べていたが、最後には餓死した。
山の麓で伯夷・叔斉の二人を心配そうに見やるのは太公さんでしょうかね。
やっぱり炭水化物を採らず、蕨だけでは栄養失調で餓死しちゃうんですね。(←って、浅い話ではなく正義が通らぬ理不尽を司馬遷は嘆いて史記に記したのでしょう。)
左隻
漁夫と問答する屈原。
楚の屈原も君主の懐王に進言が受け入れられず、悲憤から「離騒」を詠んで石を抱いて川に飛び込んだ人ですよね。
漁夫に剛直な性格を改めて、もっと柔軟に生きた方が楽だろうと言われても、清廉潔白に生きている自分の意思を曲げてまで生きるくらいなら、川に身を投げて魚の餌になった方がましだ。」と応えた故事に因んだ場面が描かれているようです。
等伯が描いた右隻と左隻の主題は、史記に描かれた清廉潔白を通した忠臣の不条理な最後ということでしょうか。
重要文化財 「樹下美人図」 唐時代 8世紀
西本願寺法主大谷光瑞(おおたにこうずい)師派遣の中央アジア探検隊によって将来されたもお。
トゥルファン付近のカラホージョ古墳から出土したと伝えらえる。
8世紀盛唐期の風俗を反映し、唐代の紙本絵画の遺品は極めて希少。
加彩女子俑 唐時代8世紀
この二つの作品を眺めて思うところは、当時の女性の衣装は胸がそんなにはだけていなかったのだなぁ~ってこと。
やっぱり中国のTVドラマ「武則天」の衣装はやりすぎw
髪型も日本髪風だし。
加彩馬俑 唐時代8世紀
落ちた色合いがキレイだな~と思いました。
重要文化財 樵夫蒔絵硯箱(きこり まきえ すずりばこ)
伝 本阿弥光悦
桃山~江戸時代 17世紀
≪山形に高い蓋の姿が目をひく。
蓋表に粗朶(そだ)を背負い山路を下る樵夫を、鮑貝、鉛板を用いて表す。
鉛や貝の大胆な用法、斬新な造形感覚に当代一流の光悦の関わるを感じさせる。≫
本阿弥光悦の国宝「舟橋蒔絵硯箱」に雰囲気がそっくりよね!
鉛板を使っているところとか。