1/3(火) トーハク④ 舟橋 | そんな感じ。 since March 28, 2005

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日常生活の中で、ふと感じたこと。

関心したこと。

その時の感性のおもむくままに気ままに書き留めています。

2017年01月03日(火) 晴れ

 

平安の仏像展を見て、本館2階へ。

 

階段上のお正月の盛花

 

重要文化財  埴輪 猿  大日塚古墳出土   古墳時代・6世紀

 

サルの埴輪は珍しい。

背中の剥離痕があって、元々は子ザルを背負っていたらしい。

 

国宝 松林図屏風 長谷川等伯筆  紙本墨画 安土桃山時代・16世紀

 

国宝室の展示は等伯の松林図屏風。

今日のトーハクは込んでいて屏風全体の写真は撮れない。

近くで見ると、迷いなく一気に力強く線を引き松の葉を描いているのが分かる。

 

国宝 古今和歌集(元永本) 上帖  平安時代・12世紀  三井高大氏寄贈

 

『古今和歌集』の仮名序から巻第20までを感存するなかで現存最古の遺品。

筆者は藤原行成の曾孫定実(さださね)とする説が有力。

 

はるがすみ たつをみすてゝ 行かりは

花なきさとにすみならへ

 

だいしらず よみびとしらず

 

春霞が立つというのに北へ向かう雁は花咲く里に住み馴れていないのだろうかと詠んだ歌。

 

重要文化財  西湖春景・銭塘江観潮図屏風 池大雅(1723~76)

 

左隻は余白が続いているのかと思いきや、近くで見ると藍・黄・桃色の波線が描かれていた。

松の横で海嘯を見物する人々を描いている。

 

1階に下りて、お目当ての本阿弥光悦の舟橋蒔絵硯箱を見に行く。

 

国宝 舟橋蒔絵硯箱  本阿弥光悦(1558~1637)  江戸時代・17世紀

『後選和歌集』の和歌「東路の佐野の(舟橋)かけてのみ 思ひ渡るを知る人ぞなき」の文字を散らし書きのように配す。

 

作品を見ながら和歌がどのように配されているか、文字をたどっていく。

「東路乃」 「佐野乃」・・・とあって、「なき」がちょこんと右下に配されているのが面白いなと思ったけど、「舟橋」の文字が見当たらない・・・。

 

 

 

「舟橋」って地名だと思っていたけど、舟を並べて板を渡した橋を「舟橋」ということを知った。

よくよく見れば波に浮かぶ船首と船尾が描かれていて、鉛の黒い線が舟に渡した「舟橋」だったんだ!

「舟橋」は文字で表さず、意匠で表現していたってわけね。

まったく無粋で、光悦の意匠を分かってなかったわ~~。

 

『後選和歌集』の和歌「東路の佐野の(舟橋)かけてのみ 思ひ渡るを知る人ぞなき」の意味は、『東国の佐野の舟橋を架け渡す――その「かけ」ではないが、思いをかけてずっと恋し続けていることを知ってくれる人がいないことよ。』ということらしいけど、「佐野の舟橋」とは万葉集の『かみつけの佐野の船はしとりはなし、親はさくれどわはさかるがへ(上野の 佐野の船橋を 取り放すように親は引き放すが わたしらは離れるものか)』という歌からきているものらしい。

上野の 烏橋の両岸に住む男女が恋仲になり橋を渡って逢瀬を重ねていたが、こころよく思わぬ親が橋の真ん中の板を取り外したので男女は川に落ちて死んでしまったという伝説があるのだとか。

 

舟橋の意匠に、歌は二段落ちとは、光悦先生、深いです。