2015年03月08日(日) 小雨→曇り
今日は小雨降る中、新橋で下りて、「パナソニック汐留ミュージアム」へ行ってきました。
銀座線新橋駅の2番出口から3分くらい歩いた所あるパナソニックビルの4階が美術館です。
手前にあるのが「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」。
ライト鉄なので鉄道歴史展示室ものぞきたかったけど、14時からイベントがあるので今日はパス。
美術館では、「パスキン展」が開催されていました。
パスキンに興味があったわけではなく、はっきり言って名前すら知らなかったのですが、イベント会場が汐留だったので、ついでに、こちらの美術館にも寄ってみようかなぁ~というノリだったのです。
ジュール・パスキン(1885~1930)は、ブルガリア生まれのユダヤ系の画家。
展示を見る前に見たビデオによれば、本名は「PINCAS」だったけど、画家になるのを反対した両親から「PINCAS」を名乗ることを禁じられたので、テキトーにアルファベットを並べ変えて「PASCIN」と名乗ることにしたのだとか。
ドイツに出てきてデッサンを学び、才能がある人だったらしく、学生時代から挿絵の仕事で潤い、第一次世界大戦(1914~1918)中はユダヤ人迫害を避ける為にアメリカに滞在し、終戦後、パリへ。
第一次世界大戦後の「狂乱の時代」のパリで高い評価を受け、真珠母色の絵は飛ぶように売れ、時代の寵児となる。
同じエコール・ド・パリの画家仲間、フジタやキスリングは親友。
毎晩乱痴気騒ぎのイケイケの「狂乱の時代」を生き抜くも、晩年はアルコール依存症や鬱病、友人の妻リュシーとの不倫関係に行き詰まり45歳で自殺。
作品を見ると二人の裸婦をモチーフとした作品が多い。
八頭身のスタイルではなく、どちらかというと五頭身で腰から太ももがたっぷりとした女性像。
初期は鉛筆、後期はパステルで下書きし、真珠母色と呼び荒れる淡い色合いのトーンでまとめている。
あまり好みの作風ではなかったけど、1920年代の「狂乱の時代」にこういった絵が流行したというのが興味深かった。
愛人だったリュシーの絵も何枚かあったけど、最後に飾ってあったリュシーの写真を見た時、ホントに似ていた。
パスキンもリュシーもタバコを咥えている姿で写真に収まっていたけど、当時はこういうポーズを取るのがイキだったんですかね。