パナソニック汐留ミュージアム | そんな感じ。 since March 28, 2005

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日常生活の中で、ふと感じたこと。

関心したこと。

その時の感性のおもむくままに気ままに書き留めています。

2015年03月08日(日) 小雨→曇り


今日は小雨降る中、新橋で下りて、「パナソニック汐留ミュージアム」へ行ってきました。


20150308_1221パナ美術館


銀座線新橋駅の2番出口から3分くらい歩いた所あるパナソニックビルの4階が美術館です。


20150308_1221鉄道歴史展示室1


20150308_1221鉄道歴史展示室2


手前にあるのが「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」。


ライト鉄なので鉄道歴史展示室ものぞきたかったけど、14時からイベントがあるので今日はパス。


20150308_1230パスキン展


美術館では、「パスキン展」が開催されていました。


パスキンに興味があったわけではなく、はっきり言って名前すら知らなかったのですが、イベント会場が汐留だったので、ついでに、こちらの美術館にも寄ってみようかなぁ~というノリだったのです。


ジュール・パスキン(1885~1930)は、ブルガリア生まれのユダヤ系の画家。

展示を見る前に見たビデオによれば、本名は「PINCAS」だったけど、画家になるのを反対した両親から「PINCAS」を名乗ることを禁じられたので、テキトーにアルファベットを並べ変えて「PASCIN」と名乗ることにしたのだとか。

ドイツに出てきてデッサンを学び、才能がある人だったらしく、学生時代から挿絵の仕事で潤い、第一次世界大戦(1914~1918)中はユダヤ人迫害を避ける為にアメリカに滞在し、終戦後、パリへ。

第一次世界大戦後の「狂乱の時代」のパリで高い評価を受け、真珠母色の絵は飛ぶように売れ、時代の寵児となる。

同じエコール・ド・パリの画家仲間、フジタやキスリングは親友。

毎晩乱痴気騒ぎのイケイケの「狂乱の時代」を生き抜くも、晩年はアルコール依存症や鬱病、友人の妻リュシーとの不倫関係に行き詰まり45歳で自殺。


作品を見ると二人の裸婦をモチーフとした作品が多い。

八頭身のスタイルではなく、どちらかというと五頭身で腰から太ももがたっぷりとした女性像。

初期は鉛筆、後期はパステルで下書きし、真珠母色と呼び荒れる淡い色合いのトーンでまとめている。


あまり好みの作風ではなかったけど、1920年代の「狂乱の時代」にこういった絵が流行したというのが興味深かった。

愛人だったリュシーの絵も何枚かあったけど、最後に飾ってあったリュシーの写真を見た時、ホントに似ていた。

パスキンもリュシーもタバコを咥えている姿で写真に収まっていたけど、当時はこういうポーズを取るのがイキだったんですかね。


20150314_1429パスキン展