イミテーション | たらればの世界

イミテーション

迚も勇気の要ることだった。未知の世界の扉を叩くことだし、取り返しのつかないことになるかもしれないって不安もあった。一歩を踏み出す勇気は相当なものだけれども、その歩みを更に続けていくのは、もっと骨の折れることなんだ。茨の道を進んでいく。傷が治ればすぐに新しい傷がつく。原林、もう荒れ果てた杣道、あるいは断崖の小径。ひきかえすことも儘ならないんだ。


ある日のことだった。ふとしたことだったんだ。グラスを手に取った彼女の小指が小さくて、白くて、変な話――タイプだったんだ。ほんのひとかけらの誘惑なんだよ、恋に落ちるのなんて。

彼女は僕の友だちの友だちで、そんなに知らない仲じゃない。割合合う機会も多い。僕の友好関係の円と、彼女の円がうまく重なり合ってる。だから――その気になれば、食事に誘うこともできる筈なんだ。

僕が慎重派で――というのはきこえがいいかもしれないが、詰まりこの手のことには奥手で、その所為もあってか、「興味がないのではないか」と思われている位。そんなことは全くない。だけど、必要のない駆け引きや計算なんて厭じゃないか。楽しみたい訳じゃない。本当に必要な人と出逢って、大切にしていきたいだけなんだ。

それでも考えなければいけないとは思う。彼女にアプローチをする為には、少し位の計算も。なんだかんだ云訳してしまっているのは、唯僕が弱虫だってことに他ならない訳なんだ。


知り合って間もない訳ではない。気になるんだ、彼女が僕のことをどう想っているのかを。「かっこいい」なら嬉しい。「かわいい」でも、まぁいいか。「楽しい」のは無理かな、口べただから。「気持ち悪い」とか「ださい」って想われていたら最悪。でも「特になんとも」想われていないっていうのが一番最悪かな。


僕自身、僕のこと「情けない奴」だって想ってる。男らしくないし、おもしろくない。真面目な振りしているけど、怠け者だし。口べたで空気が読めなかったり、「気持ち悪い」奴だって想われても仕方たないところはあると思う。

「そんなことはないよ」

って友だちは云ってくれる。

「思いこみだよ」

って、奮い立たせてくれる。けどさ、それは友だちだから。僕を傷つけないように気を遣ってくれてるだけじゃないのかな。面と向かって、僕自身に僕の悪口を云う訳ないんだしさ。



自分がもうひとり。別の人になって、自分自身のこと、どういう奴なのか、観察できたらいいのにな。それが、本当の客観性じゃないか。自分の中から自分を見詰めたって、あくまで主観の中での客観性でしかない。本当に自分がどういう人物か判るには……自分以外にみて貰うしかないんだ。

自分が別の人間になれたら……それが一番いい方法だけど……夢みたいなこと。


以外にもうまくことは進んだ。そういうのに明るくて、抵抗のない人物が知り合いにいたんだ。

幸い(かどうか?)にも、僕の髭は薄くて、手入れも簡単に済んだ。肌が綺麗だ、とは云いがたいが、必要以上に潤っていなくてリアリティがある。体格も――自分にはコンプレックスの対象でしかないのだけれど――華奢で、中性的で、不自然さはあまりでなかったし、隠すべきところは知り合いの――この際はっきり云ってしまおう――オカマが、よく心得ていた。


斯くして、僕は誰にも気づかれず別人となった。しかも、彼女の友人、彼女本人から直接、僕のことをどう想っているのか訊きだせるように、同姓として、全く違う人物になることができたんだ。


……ここまできいて、馬鹿な奴だと、当然思うだろう?もっと簡単な方法があるはずだって。それ位盲目なのさ、恋、って。


それからと云うもの、僕自身、常に不安だった。ボーダー・ラインを超える勇気、それ以上に必要なのは、踏み越えた一歩のその先で、その歩みを持続することなんだ。「継続は力哉」とはよく云ったものだ。そうやって継続して継続して……遂には臨界点を超え、初めてそこに希望があるんだ。


僕は女装を辞める気はないね。だって、楽しいんだもの。茨の道も、とげの痛みが慣れれば快感になるのさ。

彼女?僕のこと、好きだってさ。本当に嬉しいよ。僕子ちゃんが訊きだしたんだ、なにもかも、計算通りにことが運んだよ。

今度、食事に誘うよ。ほら、この前みつけた、おしゃれなオーガニックのレストランさ。