釜山に行って、船に約500人の韓国の人々が乗ってきて
二日後あたりから
どうも、私の中の意識度が高くなって「アニョハセヨ」と言わなければならない、
そんな“挨拶しなければならない”に 、疲れだした。
食堂に行けば、韓国の人ばかり 。
船内で通りすぎる人も
日本人は気にならなくても
韓国の人だと、いちいち気になって心が反応してすれ違う
どこかに怖いとゆうもんが出だした。
仲良くならなくちゃいけない
それは、日本の人とすれ違っても出ない
意識のし過ぎに 気がつきながら、とうとう通りすがりの挨拶もしなくなった。
でも、全員意識してたらたまったもんじゃないし
何気なく同じ空間にいるのも
なぜか気まずくて
話しかけられない
それに自分自信が反応してた。
後半になって
そういえば韓国の人は
特別に「こんにちは、おはよう」
それを言ってくることはない。
同じ空間にいて
過度な 言わなきゃ、仲良くならなきゃ
が出てた。
やっぱ疲れたらハングルの船内放送も耳に痛くなった。
交流とは 何だろか
最初からつまづきながら
すべてを合わせようとしなくていいと思うって意見を聞いた。
結局、最後ツアーの時に日韓で通訳上、少しの時間別れてて楽だった
そのあと合流して 一緒に歩いてて 韓国人同士が会話してて
日韓交流ツアーは、同じものを見たり聞いたりしてるんだ
後ろの座席で楽しそうな会話に、楽しんでるんだ
そんなのが伝わってきた
クルーとの挨拶は楽なのに
どうして苦になったんか
多分 わたしはクルーとの挨拶はいつも顔がゆるやかになってるはずだ。
親しみとかが湧いてる
もてなされ、仲良くなりやすい
この複雑な違いは
どっかからでてた
英語かもわからないし、姿形かもわからない
一回、友達の部屋で若者どうし夜交流してるから行こうよって遊びにいったら、ついてけずに身は堅くなってた。