山本崇一朗作『からかい上手の高木さん』が完結し、今日、20巻(卒業アルバム付き)が届きました。

 

この作品に出会ったのは、昨年の3月、小豆島を旅行したのがきっかけでした。

宿泊したホテルのロビーに漫画が置いてあり手に取りました。

正直なところ、かわいい女の子が男の子にちょっかいを出して、男性読者がにやにやする類のものと思ってアニメもマンガも見ていませんでした。

 

ところが、一読してすっかりはまりこみ、ちょうどアマゾンプライムで3期までのアニメがすべて配信されており、すっかり見入ってしまったのでした。

つまり、聖地巡礼ではなく聖地で洗礼を受けたというところです。

 

いったいどうして、それほどこの作品に感銘を受けたのか。

 

まず、「からかう」とはどういうことなのか。

「からかう」ことと「いじめる」、「ばかにする」、「だます」といったことの線引きはどのようになされるのか。

高木さんのからかい、とは、西片を「驚かせる」、「赤面させる」ことに集中します。

しかし、それには大変に微妙なバランス感覚が要求されています。

 

第1巻から第2巻のあいだは、高木さんは少し大人びた表情の顔立ちで描かれていました。

しかし、しだいに丸顔の幼い顔立ちに変えられていきました。

中学生には見えないデフォルメのしかたですが、

「からかう」という行為が、やりすぎているように見えないための絵の工夫になっています。

 

高木さんのからかい方は、他のマンガにはみられないような、

きわめて洗練された言語ゲームがあらわれます。

 

一例をあげると、第18巻の「福引」という話があります。

西片と高木さんが商店街の福引をして、どちらが上の賞を出せるか勝負します。

6等しか出ない西片に、高木さんが福引券の端数を渡し、二人分を合わせて西片がダメ押しの一回をします。

 

そのとき、西片の後ろで「2人で出しあった福引き券だし、特等当たったら2人で旅行行こうよ。」と高木さんが何げない口調で言います。

無心になろうとしていた西片は時間差でその言葉に赤面し、なんとか引き分けになる5等を引く。

 

ここまでが前段階。

帰り道、二人が一緒に帰る途中、高木さんは「でもさ、いつか行きたいね。」と言います。

西片が返答に困っているのをしばし楽しんだ後、「お母さんに今度の家族旅行沖縄にしようって言ってみようかなー」と言って、「いつか行きたい」ということばの「正解」を提示する。

 

ここでは、「二人で旅行に行く」という選択肢と「どこかに旅行に行く」という選択肢があり、

西片は先ほどの福引で高木さんに言われた前者に引きずられているわけです。

むしろ、そのようにしか考えられないように高木さんは巧みに誘導している(恐ろしい)。

 

ですから、そのまま読めば、非常に意地悪であざとい感じが残ります。

その意地悪さを軽減するのは、まずは絵の柔らかさです。

 

しかし、この話を「からかい」にしているのは、もっと別の原理です。

じつのところ、「二人で旅行に行きたい」という言葉はすでに高木さんが口にしています。

したがって、高木さんは西片に行きたいという思いを告げている。

彼女は、西片がそれを覚えていて照れている、照れているということは、自分のことを意識している、ということを確認する、というのがこのからかいの目標です。

 

それは、やはりあざといやり方ではないのか。

しかし、18巻分読んでいると、あざとさ、というよりも器用すぎるがゆえの不器用さが見えてきます。

高木さんは、これ以上のことは言いませんし、言えません。

作中で何度も、高木さんは西片に思いを伝えているのですが、

いずれも冗談にしか聞こえないようにしています。

それについて真野ちゃんに「いつものくせがでちゃって」と言って笑ってごます。

アニメ3期のクリスマスの回では、高木さんの性格がとてもよく表れるカットがありました。

西片からプレゼントを渡されるとき、高木さんはすぐに受け取らず、一度ためらいをみせます。

 

彼女は頭が良すぎて、感情や行動のリミッターが自動的にかかってしまう。

優等生という設定であるだけでなく、まわりからも好かれる、ということは、

怒ったり嘆いたり、本音を人に見せないということです。

それはおそらく親に対しても同様なのでしょう。

 

しかし、西片にだけは大声で笑い、素の自分でいることができる、

子どもっぽい悪戯をしかけることができる、おそらくそれは自分ですら想像できなかった自分の発見だったといえます。

アニメ版2期ではそのことが強調されるようなエピソードがありました。

漫画版で西片が母親とけんかして帰りたくない、というエピソードを、

高木さんが母親とけんかして元気がない、というエピソードに翻案しています。

西片と夏祭りに行きたい、という思いがふだん「いい子」である高木さんをそうさせている。

 

そこに高木さんのけなげさがあらわれています。

勝負においては高木さんは西片に勝ち続けていますが、彼女は最初から負けているのです。この枠構造があるから、「からかい」が「あざとさ」から免れている。

 

そして、マンガよりもとくにアニメにおいて、私は西片のけなげさにしだいに惹かれていきました。

ふつうは、あれだけからかわれ、ちょっかいをだされ、授業の邪魔をされたら、本気で怒りたくなります。

しかし、西片は徹底的に高木さんのからかいに向き合い、挑み続ける、これをけなげと言わないで何と言おうか。

それに西片は、入学式のハンカチ以来、意図せず優しさを発揮しつづけます。

素直でひたむきで表情豊かな西片もけなげとしか言いようがない。

 

この漫画のありがたいことは、ときどき二人が成人し結婚し、二人の子供のちーが登場することです。

まちがいなくハッピーエンドになっているのが連載中から分かっているのは大変に精神衛生的によろしい。

それどころか『からかい上手の(元)高木さん』まですでに19巻になり、それもほのぼのとした平和な日常が描かれていますし、西片のプロポーズまで読むことができました。

 

マンガの登場人物ながら、心からよかった、と思える作品です。

山本崇一朗先生、お疲れ様でした。