国立劇場で上演中の、十代目松本幸四郎による『蝙蝠の安』を観てきました。
その前には、二代目松本白鸚が盛綱をつとめる『盛綱陣屋』。
私は花道の外側に座っていたので、あまり舞台の真ん中が見えなかったのですが、
小四郎の母、篝火が垣越しに息子を見るところで、
私も母の目線で舞台を見ていて、つい涙ぐんだ次第。
舞台上の誰かの目を通して舞台を見る、そこにリアリティが生まれる、面白いものです。
チャップリンの『街の灯』は私の最も好きな映画のひとつです。
まさに滑稽で悲しいコメディでして世話物にぴったりです。
大正末から昭和初期にかけて浅草では、和製チャップリンがあちこちに出没していたようですが、
歌舞伎にもその波しぶきが飛んできたようで。
面白いのは、この歌舞伎が書かれたのが昭和6年、1931年、つまり『街の灯』が封切られた年です。
しかしながら、配給の契約の問題で、日本での公開は1934年だったそうです。
映画が公開されて人気になり、そのスピンオフとして芝居化したわけではない、というのが珍しい。
映画公開に先駆けること3年、脚本家・木村錦花が新聞に連載したのは、
洋行帰りの十五代目市川羽左衛門と二代目市川猿之助が語ったあらすじから発想したということで、
よくもまあそんなふわっとした情報で作品ができたものだと感心しつつ、
だからこそ自由に書けたとは作者の述懐にありました。
内容は、見事に江戸版『街の灯』でした。
幸四郎が大変にうまくチャップリンを真似ておりまして。
さらに『黄金狂時代』のパンのバレエも取り込んでいて、嬉しくなります。
おしむらくは台詞がどうしても冗長で説明過多なところです。
これがもっとこなれていき、台詞や所作に無駄がなくなっていったら、
幸四郎の「当り役」となってもおかしくない、そう思わせる舞台でした。
ただ、ショックなのは、他の人はどんな感想なのかな、とtwitterやなんかを見ると、
「街の灯は見てないけれど」という人が少なからずいたことです。
『キッド』『サーカス』『街の灯』『モダンタイムズ』『独裁者』『ライムライト』、必見です。
いずれも、笑った後に胸を締め付けるような悲しみがあります。
後年、何度目かの来日でチャップリンは、十七代目勘三郎の舞台を観たとき、コミカルで爆笑を呼ぶ場面で、
「なんて悲しい」とつぶやいていたとか。